田島
たじまTajima
全国252位 ・ 約8.7万人
田島(たじま)は、『和名抄』が日向国○珂郡に田島○を載せ、のちに田島庄という。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- たじま
- ローマ字
- Tajima
- 全国順位
- 全国252位
- 推計人数
- 約8.7万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.071%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
田島をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Tajima読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「田島」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
一文字
横一文字に引いた線の図案。
『姓氏家系大辞典』第4巻 41コマに「家紋三星に一文字」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 日向国(宮崎県)
- 筑後国(福岡県)
- 尾張国(愛知県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
田島(たじま)は、『和名抄』が日向国(宮崎県)○珂郡に田島○を載せ、のちに田島庄という。そのほか筑後(福岡県)に田島庄、尾張(愛知県)・駿河(静岡県)・相模(神奈川県)・常陸(茨城県)・上野(群馬県)・岩代(福島県)・周防(山口県)・肥前(佐賀県・長崎県)などにこの地名が多い。 【1】田島臣 ― 島田の誤りだろう。「シマダ」の項を参照。 【2】清和源氏島ヶ原族 ― 伊賀国(三重県)の名族で、源三位頼政の子孫だという。家紋は三星に一文字。「島ヶ原」の項を参照。 【3】尾張姓 ― 熱田神宮の社家で、屈指の名族である。尾張国知多郡の田島邑から起こったのだろうか。尾張宿禰の子孫で、員頼を祖とする。「アツタ」「オハリ」などの項を参照。 『熱田宮旧記』に、次のようにある。「神宮祝師系図。東太夫員頼は忠命二十二代・員信の子で、天喜二年にはじめて祝師職に補された。中務大夫仲継(天喜二年から正嘉二年まで八代のうち二百五年。旧記・証文などを所持する)。(権宮司)小太夫仲広は正嘉二年から永仁元年まで三十六年。正応四年四月、久明親王(鎌倉将軍八代、後深草院の第二皇子である)の御下文を賜る。 (同)太郎太夫仲衡は十一世、正和五年から延文元年まで四十一年。建武二年十二月、尊氏公(京都将軍の始祖、等持院殿と号す)の御書を賜る。(同)尾張守仲稲は十四世、明徳四年から正長元年まで三十六年。(同)尾張守仲安は大永三年から天正八年まで五十八年。弘治三年十一月、信長公から免許状を賜る。(同)丹後守仲定は十九世、天正八年から寛永四年まで四十八年。天正十二年四月、家康公と信雄公から同日に免許状を賜る」。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
田島タジマ和名抄、日向國部珂郡に田島〓を收む、後田島庄と云ふ。その他、筑後に田島庄、尾張、駿河、相摸、常陸、上野.岩代、周防、肥前等、此の地名多し。 1田島臣島田の誤りなるべし。シマダ條を見よ。 2〓和源氏島ヶ原族伊賀國の名族にして、源三位賴政の裔と云ふ。家紋三星に一文字。島ケ原條參照。 3尾張姓熱田神宮の社家にして、屈指の名族也。尾張國智多部田島邑より起りしか。尾張宿禰の後にて、員賴を祖とす。アツタ條、オハリ條等を見よ。熱田宮舊記に「神宮祝師系圖。東(東)太夫員賴·忠命二十二代員信の男、天喜二甲午年、始めて祝師職に補す。中務大夫仲繼·(天喜二甲午年よリ正嘉二戊午年まで、八代の內、二百五年、舊記證文等所持す。(權宮司)小太夫仲廣·正嘉二戊午年より永仁元癸巳年迄三十六年、正應四辛卯年四月、久明親王(鎌倉將軍八代、後深草院第二皇子也)御下文を賜ふ。(同)太郞太夫仲衡·十一世、正和五丙辰年よリ延文元丙申年迄四十一年、建武二乙亥年十二月、尊氏公(京都將軍始祖、等持院殿と號す)の御書を賜ふ。(同)尾張守仲稻·十四世、明德四癸酉年より正長元戊申年迄三十六年。(同)尾張守仲安·大永三癸未年より、天正八庚辰年迄、五十八年、弘治三丁巳年十一月、信長公より免許狀を賜ふ。(同)丹後守仲定·十九世、天正八度展年より寬永四丁卯年迄、四十八年、天正十二甲申年四月、家康公、信雄公、同日に免許狀を賜ふ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
田島と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
田島に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「田島」で始まる・田島を含む名字
田島の字をそのまま含む、より長い名字です。
同じくらいの多さの名字
全国順位が田島の前後にある名字です。
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