剣花菱

柴田

しばたShibata

全国66位 ・ 約23万人

柴田(しばた)は、『和名抄』が伊勢国三重郡に柴田○を載せて「之波多」と注記し、また陸奥国に柴田郡(陸前)があって『和名抄』は「之波太」と注記し、郡内に柴田○を載…

7件の公開家系図に 11人

基本情報

読み
しばた
ローマ字
Shibata
全国順位
全国66位
推計人数
約23万人
全国比率
日本人のおよそ0.19%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

柴田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Shibata読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「柴田」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第3巻 267コマに「家紋割劔花菱」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 伊勢国(三重県)
  • 陸奥国(東北地方)
  • 陸前国(宮城県・岩手県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

柴田(しばた)は、『和名抄』が伊勢国(三重県)三重郡に柴田○を載せて「之波多」と注記し、また陸奥国(東北地方)に柴田郡(陸前(宮城県・岩手県))があって『和名抄』は「之波太」と注記し、郡内に柴田○を載せる。そのほか三河(愛知県)・常陸(茨城県)・下野(栃木県)・陸奥などにもこの地名があり、越後(新潟県)の新発田については次の項にある。 【1】(阿倍)柴田臣 ― 奥州柴田郡の豪族で、阿倍氏の一族である。『続日本紀』神護景雲三年三月の記事に「陸奥国柴田郡の人、外正六位上 丈部島足に、阿倍柴田臣の姓を賜った」と見える。 【2】(大伴)柴田臣 ― 前項と同じく奥州柴田の……(この部分は原文の行が崩れて重複しており、読み取れない)……合戦をとげ、夕方になって芝田館を攻め落とした。 ……この戦いのことは『余目旧記』に、次のようにある。「伊沢四郎家景の弟を宮城の小四郎家業という。そもそも宮城と名乗るもとは、頼朝の御逝去ののち、頼家が鎌倉殿におなりになった。ほどなく御死去、御弟の実朝が将軍になられた。その御代に弥次郎左衛門という朝敵が現れた。身の丈は八尺二分、力は七百人分である。わずか手勢三百余騎であったが、兵を後ろに置いて、ただ一騎で数千万騎の中に駆け入り、防ぎ戦っても矢も刀も立たないので、どうしようもない。鎌倉殿は平家を平らげ、秀衡を滅ぼし、四海を手のうちにされたけれども、かの弥二郎左衛門には進退きわまられて、六十六か国へ御札を立て、かの賊徒を組み討ちにした者には勲功・褒賞を望みのままに与えようと触れられたが、日本は広いといっても、その御札に応じて上る者はなかった」。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

柴田シバタ和名抄、伊勢國三重郡に柴田〓を收め、之波多と註し、又陸奥國に柴田郡あり(陸前)、和名抄に之波太と註し、郡内に柴田〓を收む。其の他、三河、常陸、下野、陸奥等にも此の地名存し、越後の新發田の事は次條に在り。 1(阿倍)業田臣奥州業田郡の豪族にして、阿倍氏の族人也。神護景雲三年三月紀に「陸奥國業田郡の人、外正六位上丈部島足に、姓を阿倍柴田臣と賜ふ」と見ゆる2(大件)柴田臣前項と同樣、奥州柴田前項と同樣、奥州柴田合戰を遂げ、晩に及びて芝田館を攻め落し訖る。……此の役の事、餘目舊記に「伊澤四郎家景の舍弟を宮城の小四郞家業といふ。そも宮ぎと名乘る根本は、頼朝御逝去以後、賴家·鎌倉殿に成=給ふ。程なく御死去、御弟實朝將軍になり給ふ。彼の御代·彌次郞左衞門といふ朝敵いできたり。たけは八尺貳分、男力は七百人がちからなり。わづか手勢三百餘騎たりといへども、衆をばうしろにおきて、只一騎·數千萬騎が中に、はせ入、防戰すといへ共、矢かたなも立たざる間、かなふべき樣なし。鎌倉殿には平家をたいらげ、秀衡をほろぼし、四海をたなごゝろの內にしたまへども、彼の彌二郞左衞門には、しんたいきわまりたまいて、六十六箇國へ御札を立て、かの賦徒をくみ討ちしたらん輩は、くんこうけんしやう望みによるべしと、觸れ給へども、日本ひろしと申せども、御ふだに付きてのぼる俗なし。

姓氏家系大辞典 第3巻 266コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

この名字の人々

同じ読みの名字

柴田と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

柴田に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が柴田の前後にある名字です。

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