津田
つだTsuda
全国290位 ・ 約7.7万人
津田(つだ)は、近江・但馬に津田庄があり、そのほか河内・武蔵・常陸・出雲・播磨・安芸・阿波・讃岐などにこの地名がある。
8件の公開家系図に 16人
基本情報
- 読み
- つだ
- ローマ字
- Tsuda
- 全国順位
- 全国290位
- 推計人数
- 約7.7万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.062%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
津田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Tsuda読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「津田」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
五三桐
桐の葉三枚の上に、花の穂を立てた図案。
『姓氏家系大辞典』第4巻 196コマに「家紋瓜、五三桐、桐の丸」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 近江国(滋賀県)
- 但馬国(兵庫県)
- 武蔵国(東京都・埼玉県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
津田(つだ)は、近江(滋賀県)・但馬(兵庫県)に津田庄があり、そのほか河内(大阪府)・武蔵(東京都・埼玉県)・常陸(茨城県)・出雲(島根県)・播磨(兵庫県)・安芸(広島県)・阿波(徳島県)・讃岐(香川県)などにこの地名がある。 【1】伴姓 ― 三河伴氏系図に「津田、云々。みな伴氏である」と見える。近江の津田から起こったのだろうか。 【2】藤原北家大森氏族 ― 大森葛山系図が一族として津田氏を挙げる。本貫は駿河(静岡県)か。 【3】佐々木氏族 ― 近江国蒲生郡の津田邑から起こった。豊浦氏の庶流である。 【4】忌部氏族 ― 近江国蒲生郡の津田庄から起こった。織田系図によれば、津田氏と織田氏とは同族だという。そうであれば織田氏と同じく忌部氏とすべきだろうか。次項および「織田」の項を参照。 また越前(福井県)では「織田氏は、織田神社の祠官・織田権太夫親実の八代の孫、津田次郎四郎常昌の子・帯刀左衛門常誘が斯波高経・義将に歴仕し、越前八郡の○であった。その十一代が信長である」とする。 【5】桓武平氏織田氏族 ― 伝えていう。小松内大臣重盛の次子・資盛の子である親実が、母に従って近江の津田に隠れ、後に越前へ走って織田神社の禰宜某に養われた。これが津田・織田の祖だという。織田系図に「親真は近江の津田、越前の織田の元祖」と見え、また「親真、津田先生と称する」とある。それらの伝説と真相は「織田」の項に詳しい。 また一説に三位中将○盛の子・親真を津田権大夫と載せる。『輿地志略』に「織田親実は蒲生郡津田の人である。幡大夫と号し、津田の先生という。法名は覚成法師。織田氏の元祖で、桓武天皇十四世の孫である。その家記にいう『安徳天皇の寿永二年秋八月、小松三位資盛が西海へ赴く日、その妾は身ごもっていた。妾は近江国津田郷へ奔り、その後に男子を生んだ。これが親実である。越前国織田明神の祠官が親実を養子とした。親実はここにおいて織田氏と称した』」とある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
津田ツダ近江、但馬に津田庄、その他、河內、武蔵、常陸、出雲、播磨、安藝、阿波、讃岐等に此の地名存す。 1伴姓三河伴氏系圖に「津田云々、皆伴氏也」と見ゆ。近江津田より起リしか。 2藤原北家大森氏族大森葛山系圖、族に津田氏を擧げたり。本貫駿河か。 3佐々木氏族近江國蒲生郡津田邑より起る。豐浦氏の庶流なり。 4忌部氏族近江國蒲生郡津田庄より起る。織田系圖に據れば、津田氏と織田氏とは同族なりと。然らば織田氏と同樣、忌部氏とすべきか、次項、及び織田條を見よ。又越前にては「織田氏は織田神社の祠官織田權太夫親實が八代孫津田次郞四郎常昌の子帶刀左衞門常誘、斯波高經、義將に歷仕し、足州八郡の寧たり。其の十一代を信長」とす。 5桓武平氏織田氏族傳へ云ふ、小松内大臣重盛の次子資盛の男親實、母に隨ひて近江津田に匿れ、後に越前に走り、織田神社福宜某の養ふ所となる。これ津田織田の祖なりと云ひ、織田系圖に「親眞は、江州津田、越前織田の元祖」と見え、又「親眞、津田先生」と稱すと。其れ等の傳說、並びに眞相は、織田條に詳か也。又一に三位中將賣盛の子親眞を津田權大夫と載せ、又與地志略に、「織田親實は蒲生郡津田の人也。幡大夫と號し、津田の先生と云ふ、法名覺成法師。織田氏の元祖、桓武天皇十四世の孫也、其の家記に曰ふ、『安德天皇憲永二年秋八月、小松三位資盛·西海に赴く日、其の妾胎めることあリ.妾·近江国津田郷に奔る、而して後男子を生む。是れ親實也。越前國織田明神の祠官、親實を養子とす。親實·是に於いて織田氏と稱す』と。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ漢字を使う名字
津田に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「津」の字を含む名字
「津田」で始まる・津田を含む名字
津田の字をそのまま含む、より長い名字です。
同じくらいの多さの名字
全国順位が津田の前後にある名字です。
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