竹橋

たけはしTakehashi

全国9416位 ・ 約817人

竹橋(たけばし)は、加賀国加賀郡竹橋邑から起こる。

1件の公開家系図に 1人

基本情報

読み
たけはし
ローマ字
Takehashi
全国順位
全国9416位
推計人数
約817人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

竹橋をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Takehashi読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 加賀国(石川県)
  • 信濃国(長野県)
  • 陸奥国(東北地方)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

竹橋(たけばし)は、加賀国(石川県)加賀郡竹橋邑から起こる。この邑名は「源平盛衰記」などに見える。また秀忠の娘で秀頼の室である天寿院を竹橋御殿というが、これとは関係がない。 (このあと原文は次の見出し「竹花」の記事に移る) 竹花(たけはな)は、竹畠・建畠とも書き、信濃(長野県)・陸奥(東北地方)などの名族である。 【1】清和源氏新田氏族 ― 信濃国小県郡竹花邑から起こるという。脇屋義助の後で、義隆の裔であるという。新田・脇屋の項を参照。 【2】奥州の竹花氏 ― 南部家臣で、おそらく信濃から移ったのであろう。また「仙台藩封内記」に「刈田郡郡山邑の古畳は、土地の人が伝えて往古南部家の先祖が居た所という。館下に竹花と号する地があり、その家臣・竹花内議(諱は伝わらない)の居所である」とある。 【3】雑載 ― 伊予小松の学者に竹花氏があり、初め今治藩、後に小松藩に仕えた。荘右衛門就純の子・堅蔵正修(藍谷)が最も名高い。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

竹橋タケバシ加賀國加賀郡竹橋邑より起る。この邑名は源平盛衰記等に見ゆ。又秀忠の女、秀賴の室、天壽院を竹橋御殿と云ふ。但し關係あるなし。竹畠タケハタ建畠タケハタ竹花タケハナ信濃、陸奥等の名族也。 1〓和源氏新田氏族信濃國小縣郡竹花邑より起ると云ふ。脇屋義助の後、義隆の裔なりとぞ。新田、脇屋條參照。 2奥州の竹花氏南部家臣なり。蓋し信濃より移りしならん。また仙臺藩封內記に「刈田郡郡山邑、古疊は土人相傳ふ、往古南部家先祖の居る所なりと。館下に竹花と號する地あり、其の家臣竹花内議(諱不傳)の居なり」しとぞ。 3雜載伊豫小松の學者に竹花氏あり、始め今治藩、後小松藩に仕ふ。莊右衞門就純の子堅藏正修(藍谷)·最も名あり。

姓氏家系大辞典 第4巻 29コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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