丸に目結

西尾

にしおNishio

全国286位 ・ 約7.8万人

西尾(にしお)は、 【1】十市氏族 ― 大和国十市郡の名族である。

2件の公開家系図に 2人

基本情報

読み
にしお
ローマ字
Nishio
全国順位
全国286位
推計人数
約7.8万人
全国比率
日本人のおよそ0.063%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

西尾をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Nishio読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「西尾」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第4巻 532コマに「家紋丸に鞠挾.四目結」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 大和国(奈良県)
  • 河内国(大阪府)
  • 摂津国(大阪府・兵庫県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

西尾(にしお)は、 【1】十市氏族 ― 大和国(奈良県)十市郡の名族である。「十市」の項を参照。また十津川郷の役職の由緒書に、林村の庄屋・西尾加茂助を挙げる。 【2】河内(大阪府)の西尾氏 ― 安宿郡国分村の名族で、その祖の西尾五良右衛門が西光寺を再興した。また若江郡八尾の名族でもある。 【3】摂津(大阪府・兵庫県)の西尾氏 ― 西成郡北野村の名族で、そのほかにもある。 【4】伊賀(三重県)の西尾氏 ― 名賀郡北山(上津村)の西尾城に拠った。『名賀郡志』に「西尾城は西尾太左衛門太夫長利の城址だという。伝えていうには、西尾氏は寛正年中の人で、畠山氏の内訌の乱に際して義就を河内の金胎寺城に囲んで大いに忠戦し、将軍の感状を受けた。永禄年間、三好・松永の反乱に、長利の曾孫・左馬助藤長は郎党百五十人を率いてこれに向かったが、ついに敗れて戦死した。子孫は難を避けて○里北山へ走って住んだという。今、同村大字下川原にある西尾氏はこの子孫である」と伝える。 【5】佐々木氏族 ― 佐々木経方の子・兵庫助行定(佐々木宮の神主)の二男、五郎大夫行範を祖とする。刑部高義がはじめて深尾を称したが(「フカヲ」の項を参照)、その子孫・正広の子である伊兵衛正義に至って西尾に改めたという。家紋は丸に鞠挟み、四つ目結。……そのほか京極殿の給帳に「三百石 西尾利左衛門」が見え、この流れだろうか。 ……(中略)その後、『船田前記』に「西尾氏が前駆となり、西尾氏某ら戦死三人」とある。 また『新撰美濃志』多芸郡の条に「野口村。西尾伊豆守信光は籾井兵庫頭源光秀の子で、三河(愛知県)の西尾からここへ移り住み、三千貫を領した。『船田前記』に『西尾直○は斎藤持是院妙純に仕えて忠功があった。明応甲寅の冬、石丸利光が逆謀をもって主君を害そうとはかったのを、直○がひそかに主君に告げてその難を免れさせた』と記す直○は、この伊豆守のことだろう」とある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

西尾ニシヲ1十市氏族大和國十市郡の名族也。十市條を見よ。又十津川郷鈴役由〓書に林村庄屋西尾加茂助を擧ぐ。 2河内の西尾氏安宿郡國分村の名族にして、其の祖四尾五良右衞門·西光寺を再興す。又若江郡八尾の名族たり。 3攝津の四尾氏四成郡北野村の名族、その他にも存す。 4伊賀の四尾氏名賀郡北山(上津村)四尾城に據る。名賀郡志に「四尾城は西尾太左衞門太夫長利の保址なりと云ふ。傳へ云ふ、四尾氏は寬正年中の人、畠山内訌の亂に、義就を河内の金胎寺城に圍み、大いに忠戰し、將軍の感狀を受く。永祿年間、三好松永の反亂に、長利の曾孫左攝津、大和、武藏等に馬助藤長は、郞黨百五十人を率ひて之に向ひしも、遂に敗れて戰死す。子孫·難を避けて〓里北山に走り居ると。今同村大字下川原にある西尾氏は此の裔なり」と傳へたり。 5佐々木氏族佐々木經方の子兵庫助行定(佐々木宮神主)の二男五郞大夫行範を祖とす。刑部高義·始めて深尾を稱せしが(フカヲ條を見よ)、其の後裔正廣の子伊兵衞正義に至り、四尾に改むとぞ。家紋丸に鞠挾.四目結。……その他、京極殿給帳に「三百石四尾利左衞門」見ゆ、此の流か。……その後、船田前記に「四尾氏·前駈となり、四尾氏某等戰死三人」野宮家永祿十三年に四「宗忠(四内と。又新撰志、多藝郡條に「野口村。西尾伊豆守信光は、籾井兵庫頭源光秀の子にて、參河の四尾より、こゝに移り住みて、三千貫を領す。船田前記に『四尾直〓·齋藤持是院公性に仕へて忠功あり。明應甲寅冬、石丸利光·逆謀をもつて、主君公性を試せんとはかりしを、直〓ひそかに公性につげて、其の難を免がれしめしまし』しるしたる直〓は、此の伊豆守の事なるべし。

姓氏家系大辞典 第4巻 532コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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