丸に巴

中尾

なかおNakao

全国218位 ・ 約10.0万人

中尾(なかお)は、山城・甲斐・武蔵・播磨・美作・肥前などにこの地名がある。

2件の公開家系図に 2人

基本情報

読み
なかお
ローマ字
Nakao
全国順位
全国218位
推計人数
約10.0万人
全国比率
日本人のおよそ0.081%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

中尾をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Nakao読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「中尾」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

  • 丸に巴

    この紋のページ →

    弓を射るとき腕に着ける鞆(とも)を象り、三つを渦に組んだ図案。

『姓氏家系大辞典』第4巻 374コマに「家紋丸に五本骨扇の內三巴.抱若松」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 山城国(京都府)
  • 甲斐国(山梨県)
  • 武蔵国(東京都・埼玉県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

中尾(なかお)は、山城(京都府)・甲斐(山梨県)・武蔵(東京都・埼玉県)・播磨(兵庫県)・美作(岡山県)・肥前(佐賀県・長崎県)などにこの地名がある。 【1】藤原南家工藤氏族 ― 伊勢国(三重県)安濃郡の豪族で、長野工藤氏から分かれた。郡内について「神戸城は中尾内膳の居城」(『三国地志』)といい、また『名勝志』に「神戸城(神戸村字小瀬古)は永禄・天正のころ、長野氏の一族・中尾内蔵介がここにいた。富田知○が津城を退去した後、この城を管理してしばらくここに住んだ(『五鈴遺響』)」とある。 また「半田砦址は半田村字上寺にある。面積はおよそ三百坪ばかりで、今は宅地である。土地の人はこれを城屋敷という。『五鈴遺響』には、半田神戸砦は中尾内蔵介の居城と記す。おそらく神戸城址と混同したものか」とある。『応仁略記』に中尾の民部を載せ、また『勢州四家記』に「中尾は工藤の一族で、信長の幕下となる」とある。 『寛政系譜』には「はじめ長野にいて長野氏を称したが、後に中尾へ移ってこの氏を称した」といい、「家紋は丸に五本骨扇の内三巴、抱き若松。太兵衛行利(新八郎)―百助勝征―左伝次義福」などを載せる。江戸幕府の家臣の家で、志摩(三重県)にもある。 【2】大和(奈良県)の中尾氏 ― 春日大宮氏文書の田井兵庫荘注進文に中尾殿が見える。 【3】摂津(大阪府・兵庫県)の中尾氏 ― 西成郡の中尾氏は、刀工・来国次の子孫という。また島上郡服部村の人・中尾徳右衛門(法名は道宗)は慶長十四年に正恩寺を創立した。 【4】加茂氏族 ― 紀伊国(和歌山県)海部郡笠畑邑の名族で、『紀伊続風土記』同村旧家の条に「地士中尾五郎右衛門。その系統は詳しくない。加茂氏の被官である。正平八年二月、同年九月、天授五年九月の綸旨三通、畠山氏・湯川氏の書状五通を蔵する。いずれも宛名は加茂氏である」とある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

中尾ナカヲ山城、甲斐、武蔵、播磨、美作、肥前等に此の地名存す。 1藤原南家工藤氏族伊勢國安濃郡の豪族にして、長野工藤氏より分る。郡内「神戶城は中尾内膳の居城」(三國地志)と云ひ、又名勝志に「神戶城(神戶村字小瀨古は永祿天正の頃、長野氏の族中尾内藏介·之に居る。富田知僧·津城退去の後、同城を監し、暫く此に住す(五鈴遣譽)」と。又「半田砦址は半田村字上寺に在り。面積凡そ三百坪許、今は宅地たり。土人·之を城屋敷と云ふ。五鈴遺響に、半田神戸砦は、中尾內藏介の居城と記せり。蓋し神戶城址を混同せしものか」と。應仁略記に中尾の民部を載せ、又勢州四家記に「中尾は工藤一族、信長幕下となる」と寬政系譜には「初め長野にありて長野氏を稱せしが、後中尾に移り、此の氏を稱す」と云ひ、「家紋丸に五本骨扇の內三巴.抱若松。太兵衞行利(新八郞)-百助勝征-左傳次義福」等を載せたり。江戶幕臣の家にて、又志摩にも存す。 2大和の中尾氏春日大宮氏文書、田井兵庫莊注進文に中尾殿·見ゆ。 3攝津の中尾氏西成郡中尾氏は、來國次の後裔と云ふ。又島上郡服部村の人中尾德右衞門法名道宗は慶長十四年、正恩寺を創立す。 4加茂氏族紀伊國海部郡笠畑邑の名族にして、續風土記、同村舊家條に「地士中尾五郞右衞門、其の系詳ならず。加茂氏の被官なり。正平八年二月、同年九月、天授五年九月の綸旨三通、畠山氏、湯川氏の狀五通を藏む。各當名は加茂氏なり。

姓氏家系大辞典 第4巻 374コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

この名字の人々

  • 中尾真能

    なかお さねよし

    室町時代

    1397年〜1471年

    室町時代の水墨画家・茶人・連歌師・鑑定家・表具師

    載っている家系図: 能阿弥の家系図
  • 中尾真芸

    なかお しんげい

    室町時代

    1431年〜1485年

    室町時代の絵師、連歌師、表具師、鑑定家

    載っている家系図: 芸阿弥の家系図

同じ読みの名字

中尾と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

中尾に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が中尾の前後にある名字です。

存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →