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全国10180位約726人
全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)に占める割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
義村(よしむら)は前項と同じ。源氏の姓で、家紋は丸に打違鷹羽、左重で義は古い字体。義村杢左衛門勝休(内蔵之助)は寶永年間に御家人となった。丹後竹野郡の豪族で、俵藤太秀里公の門人である義村肥後守秀○から出たと伝えられる。天正年間に義村市郎左衛門がおり、「肥後○城は平井肥後守の長臣義村市郎左衛門の居城」といわれる。その他の書に義村○五郎が見える。
義村ヨシムラ同上。源姓家紋丸に打違鷹羽左重、義の古文字。義村杢左衞門勝休(内藏之助)·寶永年間御家人となる。2丹後竹野郡の豪族にして、俵藤太秀里公の門人義村肥後守秀〓より出づと傳上。天正年間、義村市郞左衞門ありて「肥後巢城は平井肥後守の長臣義村市郞左衞門の居城」と云ふ。3雜載その他、銀座由諸書に義村〓五郞·見ゆ。
原文は文語体のため、AIで現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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