丸に鷹の羽

浅野

あさのAsano

全国154位 ・ 約14万人

浅野は、美濃・尾張・信濃・讃岐などに浅野村があり、いくつもの浅野氏を起こした。

4件の公開家系図に 5人

基本情報

読み
あさの
ローマ字
Asano
全国順位
全国154位
推計人数
約14万人
全国比率
日本人のおよそ0.11%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

浅野をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Asano読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「浅野」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第1巻 46コマに「家紋丸に違鷹羽、六本骨扇に澤潟丸に三引兩、石」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 美濃国(岐阜県)
  • 尾張国(愛知県)
  • 信濃国(長野県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

浅野は、美濃(岐阜県)・尾張(愛知県)・信濃(長野県)・讃岐(香川県)などに浅野村があり、いくつもの浅野氏を起こした。中には古代の朝野姓の子孫もあるだろう。 【1】美濃の浅野氏 ― 美濃国土岐郡の浅野から起こった。……(中略)このうち後世に浅野氏を称するのは光時の子孫で、近世の浅野侯は頼隆の子孫だと称する。 この氏の発祥については、『新撰美濃志』浅野村の条に次のようにある。「浅野氏の城址は村内にある。浅野判官光行は土岐美濃守光○の子で、後鳥羽天皇の西面(あるいは北面)、出羽守に任じられ、また池田新次郎の子息を追討した賞により、建保四年に左衛門権守に任じられて浅野判官と称した。実朝公の大将拝賀のときには随兵をつとめた。法号を向山寺というと『尊卑分脈』『土岐系図』などに見える。この所に住んだ人である。光行の弟・浅野次郎光時、その子の浅野太郎光○らも、みなここの人だろう」。 ……(この先は原文の段組が崩れ、別の項「朝野宿禰」の記事に移っている)「……その後、たびたび訴え出て事情を申し上げたが、恵みの光は照らされず、片隅にある者の志はかなえられなかった。今、聖朝が開かれて物事が改まるにあたり、愚民として長年の願いを申し述べざるを得ない。願わくは、かの旧号を除いて朝野宿禰を賜り、前を光らせ後を栄えさせたい。存亡ともに喜ぶところである。今願い出た朝野とは、住んでいる土地の本来の名である」といい、願いによってこれを賜った。 また『日本後紀』弘仁三年六月の記事に「大和国(奈良県)の人、故正六位上 忍海原連鷹取に、朝野宿禰の姓を追贈された。鷹取の子・従五位下 朝野宿禰鹿取が言うには、去る延暦十一年、偽って叔父の正六位上 朝野宿禰道長の子となり、すでに出仕を得て姓も改めた。今、道長には自分の跡継ぎができた。伏して願わくは実の家に戻し、家門を継がせていただきたい、と。これを許した。鹿取の願いによって、さかのぼって鷹取の姓を改めたのである」とある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

淺野フガリ美濃、尾張、信濃、讚岐等に淺野村ありて數流の淺野氏を起す。中には古代の朝野姓の後もあるべし。 1美濃の淺野氏美濃國土岐郡淺野より起る。……此內後世淺野氏を稱するは光時の後にして近世淺野侯は賴隆の後裔なりと稱す。此の氏の發祥に關しては、新撰美濾志淺野村條に「淺野氏城址は村内にあリ。淺野判官光行は土岐美濃守光街の子にて後鳥羽天皇の西面(或は北面)出羽守に任じ、又池田新次郞の子息を追討せし賞に、建保四年左衞門權守に任じ淺野判官と稱す。實朝公大將拜賀の時隨兵たり、法號を向山寺といふよし分脉系譜、土岐系圖等に見えたり。此所にすみし人なり。光行の弟淺野次郞光時、その子淺野太郞光〓等みなこゝの人なるべし。後賜ふ、爾來再三披訴、一二陳聞、然れども覆養の下照し幕く、而して向隅の志久一六、今聖朝を啓き品物交替するに屬す。愚民宿償を陳べざるを得ず。望み請ふ、彼の舊號を除き朝野宿禰を賜ひ、前を光し後に榮とせん、存亡俱に欣ぶ、今請ふ所の朝野は處る所の本名也、請に依りて之を賜ふ」と。また弘仁三年六月紀に「大和國人故正六位上忍海原連鷹取、姓を朝野宿禰と追賜せらる。鷹取の子從五位下朝野宿禰鹿取言ふ、去る延曆十一年詐りて叔父正六位上朝野宿禰道長の子となり、既に出身を得、並に姓を改む。今道長自ら繼嗣あり。伏して請らくは本生に還付し、家門を承くるを得むてへり。之を許す。鹿取の請により追うて鷹野姓を改む」と。

姓氏家系大辞典 第1巻 46コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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