河本
かわもとKawamoto
全国565位 ・ 約3.5万人
河本(かわもと)は、石見・美作などにこの地名がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- かわもと
- ローマ字
- Kawamoto
- 全国順位
- 全国565位
- 推計人数
- 約3.5万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.029%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
河本をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Kawamoto読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「河本」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
蔦
先の尖ったツタの葉を一枚描いた図案。
『姓氏家系大辞典』第2巻 268コマに「家紋△形内に蔦」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 石見国(島根県)
- 美作国(岡山県)
- 伯耆国(鳥取県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
河本(かわもと)は、石見(島根県)・美作(岡山県)などにこの地名がある。 【1】橘姓 ― 河本弥兵衛隆任がある。その家系によれば、尼子義久の家臣で、出雲広瀬の戸田城内で義久に仕え、尼子没落の際、伯耆大山に隠棲した。仏名は興証院殿隆挙覚善大居士といい、慶長五年に没した。家紋は△形の内に蔦を用い、橘姓だという。今まで十四代に及ぶという。『安西軍策』に河本弥兵衛が見え、この人の後裔と考えられる。 【2】清和源氏新田氏流 ― 美作国久米郡坪井下村の河本堡(坪井山城)の城主に河本肥後守がある。伝説によれば「新田大炊助義祐は伊予(愛媛県)で病没した。その児・岩千代丸は長じて河本左兵衛義光と称した。その子孫は赤松氏に仕え、後に浦上の家臣であった。義光の五代の孫・光政は浦上宗景の非道を憤って宇喜多直家に仕えた。光政の子・光利はたびたび戦功があった」という。 一族に勝北郡石生村庄屋の河本与三郎、田井村庄屋の河本嘉蔵・同周助があり、真庭郡三田邑、久米郡川口邑などにもある。 【3】因幡(鳥取県)の川本氏 ― 巨濃郡岩本村に川本左衛門がある。『因幡志』に見える。 【4】雑載 ― 宇都宮信景の家臣に河本七郎行重があり、和田氏の乱に連座して勘気を蒙り、走って豊前(福岡県・大分県)に下り、上毛郡山内村の如法寺に潜んだという。 徳川時代、高取上村藩の重臣、越後古志郡、堀尾山城守給帳に「二百石、川本作之丞」、京極殿給帳に「二百石 河本源左衛門」、そのほか大和(川本)・美濃(河本)・備前(川本・河本)・伊勢(三重県)・志摩(河本)・陸奥(東北地方)・豊前などに川本氏がある。 (続いて別の見出し「川源(かわもと)」の記事があり、『吏鑑』巻三十二に河源右衛門尉という人が見えるとする)
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
河本カハモト石見、美作等に此の地名あり。 1橘姓河本彌兵衞隆任あり、その家系によれば、尼子義久の家臣にして、出雲廣瀨戶田城内に於て義久に仕へ、尼子沒落の際、伯耆大山に整居す、佛名興證院殿隆擧覺善大居士と云ひ、慶長五七日沒せり。家紋△形内に蔦を用へ云ふ橘姓なりと。現今迄十四代に及ぶとぞ。安西軍策に河本彌兵衛見ゆ、人の後裔と考へらる。 2〓和源氏新田氏流美作國久米郡坪井下村河本堡(坪井山城)の城主に河本肥後守あり。傳說に據れば、「新田大炊助義祐·伊豫にて病卒す。その兒岩千代丸·長じて河本左兵衞義光と稱す。その裔赤松氏に仕へ、後浦上の家臣たり。義光五代の孫光政·浦上宗景の非道を慣りて、宇喜多直家に仕ふ。光政の子光利·屢々戰功ありたり」と。一族に勝北郡石生村庄屋河本與三郞、田井村庄屋河本嘉藏、同周助、眞庭郡三田邑、久米郡川口邑等に存す。 3固幡の川本氏巨濃郡岩本村に川本左衞門あり、因幡志に見ゆ。 4雜載宇都宮信景の家臣に河本七郎行重·和田氏の亂、連座して勘氣を蒙る、走つて豐前に下り、上毛郡山内村の如法寺に潜むと云ふ。德川時代、高取上村藩重臣、越後古志郡、堀尾山城守給帳に「貳百石、川本作之丞、」京極殿給帳に「貳百石河本源左衞門、」その他、大和(川本)、美濃(河本)、備前(川本、河本)、伊勢、志摩(河本)、陸奥、豐前等川本氏あり。川源カハモト吏鑑卷三十二に河源右衞門尉なる人見ゆ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
河本と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
河本に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「河」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が河本の前後にある名字です。
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