河崎
かわさきKawasaki
全国1036位 ・ 約1.8万人
河崎(かわさき)は、また「川崎」「河埼」とも書く。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- かわさき
- ローマ字
- Kawasaki
- 全国順位
- 全国1036位
- 推計人数
- 約1.8万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.014%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
河崎をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Kawasaki読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「河崎」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
巴
弓を射るとき腕に着ける鞆(とも)を象り、三つを渦に組んだ図案。
『姓氏家系大辞典』第2巻 247コマに「家紋三頭巴、比翼越」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 尾張国(愛知県)
- 武蔵国(東京都・埼玉県)
- 摂津国(大阪府・兵庫県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
河崎(かわさき)は、また「川崎」「河埼」とも書く。「和名抄」の尾張国(愛知県)中島郡に川崎○があり、また武蔵(東京都・埼玉県)に河崎庄、そのほか摂津(大阪府・兵庫県)・伊勢(三重県)・遠江(静岡県)・常陸(茨城県)・美濃(岐阜県)・上野(群馬県)・下野(栃木県)・岩代(福島県)・陸前(宮城県・岩手県)・陸中(岩手県・秋田県)・羽前(山形県)・越後(新潟県)・佐渡(新潟県)・美作(岡山県)・土佐(高知県)・豊前(福岡県・大分県)・筑後(福岡県)などにこの地名がある。 【1】桓武平氏秩父氏流 ― 武蔵国橘樹郡(久良岐郡)河崎庄から起こる。当荘は勧修寺の建武三年九月十七日文書に見え、「新編風土記」に「二十六村」とある。「武蔵志料」の川崎村勝福寺の鐘の背面に「弘長三年癸亥、武州河崎庄内勝福寺」と見える。……(中略) 「新編武蔵風土記」の豊島郡の項に「左馬頭義朝に○近した金王丸は、この地の人である。金王丸は川崎土佐守基家の子である。基家は軍功の賞としてこの地を領した。その祖・河崎庄司次郎の館跡は中渡谷村にある」とある。なお「渋谷」の項を参照せよ。 また多摩郡の項に「川崎氏(押立村)は、先祖を川崎隼人といった。北条家に仕え、伊豆国(静岡県)韮山で討死したという。今の平蔵の祖父は川崎平右衛門といい、武蔵野新田の開発をなし、その功によって召し出され、後に代官となった。かの平右衛門が所持していた、由緒ある二間柄の槍二本、および長刀一振を今も家に伝える。この宅地に高さ一丈ほどの塚があり、急井塚と号する。名義や事跡は伝わっていない。塚の上に文明十七乙巳年七月二十八日、妙徳禅尼と彫った古碑が一基あり、平蔵の先祖のものかは詳らかでない」とある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
河崎カハサキ又川崎、河埼等に作る。和名抄、尾張國中島郡に川埼〓あり。又武藏に河崎庄、その他、攝津、伊勢、遠江、常陸、美濃、上野、下野、岩代一陸前、陸中、羽前、越後、佐渡、美作、土佐、豐前、筑後等に此の地名あり。 1桓武平氏秩父氏流武藏國橋樹郡(久良岐郡)河崎庄より起る。當庄は勸修寺建武三年九月十七日文書に見え、新編風土記に「二十六村」武蔵志料、川崎村勝福寺鐘の後方に、「弘長三年癸亥、武州河崎庄内勝福寺」と見ゆ。……新編武藏風土記豐島郡條に「左馬頭義朝に肥近せし金王丸は此の地の人也。金王丸は川崎土佐守基家が胤子也。基家軍功の賞として此の地を領す。その祖河崎庄司次郎の館跡は中渡谷村にあり、」と。なほ澁谷條を參照せよ。又多摩郡條に「川崎氏(押立村)先祖を川崎隼人と云へり。北條家に仕へ、伊豆國韮山に於て討死すと云ふ。今の平蔵の祖父は川崎平右衞門とて、武藏野新田開發をなし、其の功によりて召出され、後御代官となれり。かの平右衛門が所持の由二間柄の眞館二本、及び長刀一振を今も家に載せり。此の宅地に高さ一丈程の塚あリ.急井塚と號す。名義及び事跡は傳へ十。上に文明十七乙巳年七月廿八日妙德禪尼とえりたる古碑一基あり、平蔵先祖の内なりや詳ならず、」と。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
河崎と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
河崎に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「河」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が河崎の前後にある名字です。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →
