柏

伊沢

いざわIzawa

全国1030位 ・ 約1.8万人

伊沢(いさわ)は、阿波・伊勢などに伊沢村があり、なお次項にいう「石禾」「石和」なども、また「伊沢」と記載する。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
いざわ
ローマ字
Izawa
全国順位
全国1030位
推計人数
約1.8万人
全国比率
日本人のおよそ0.014%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

伊沢をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Izawa読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「伊沢」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第1巻 161コマに「家紋三菅笠、〓、柏子木」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 阿波国(徳島県)
  • 甲斐国(山梨県)
  • 越前国(福井県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

伊沢(いさわ)は、阿波(徳島県)・伊勢(三重県)などに伊沢村があり、なお次項にいう「石禾」「石和」なども、また「伊沢」と記載する。したがって数流ある。 【1】桓武平氏千葉流 ― 甲斐国(山梨県)山梨郡石禾○から起こる。「平治物語」に甲斐の人「井沢四郎信景」を載せ、義朝に従った。この人の出自は詳らかでないが、阿波伊沢系図によれば「千葉常景の子である」という。確証はないが、しばらく付記して後の考証を待つ。実は甲斐の古代豪族であるだろう。 【2】清和源氏武田流 ― 「平治物語」の甲斐源氏に伊沢氏を挙げ、「源平盛衰記」は甲斐国の武田一族を挙げて伊沢五郎信光とし、巻一・三・七・十・十一・十二・十三・十五などに伊沢五郎信光がある。……(中略)また武田系図にも「信義-信光(石和五郎)」と見え、前項の氏との関係は詳らかでない。あるいは信光は前項の四郎信景の子ではないかともいう。後に武田氏の惣領職を相続した。この後裔に伊沢氏があり、信光の子・信忠の後で、「寛政系図」に政重から系図がある。家紋は三菅笠、○、柏子木。 【3】阿波伊沢氏 ― 阿波郡伊沢から起こる。天正年間、この地の○士に伊沢越前守頼俊があり、「三好家記」に多く見える。一宮長門守成助、吉井左衛門行康らとともに三好長治を殺し、細川持隆の子・掃部頭真之を擁立しようとしたが成らず、讃州(香川県)引田城主・矢野駿河守に殺された。「天正五年、伊沢越前守が坂西の城を築いて居たのを、矢野駿河守が夜討ちしたが、思いがけないことで軍勢に切り立てられ、伊沢もついに討たれた」とある。その系図は次のとおりである。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

伊澤イサハ阿波、伊勢等に伊澤村あり、猶ほ次條に云ふ石禾、石和等も亦伊澤とも記載す。從つて數流あり。 1桓武平氏千葉流甲斐國山梨郡石禾〓より起る。平治物語に甲斐の人「井澤四郞信景」を載せたり、義朝に從ふ。此の人の出自は詳かならざれど、阿波伊澤系圖に據れば「千葉常景の子なり」と云ふ。黴證なけれど、暫く附記して後考を俣たんその實甲斐の古代豪族なるべし。 2〓和源氏武田流平治物語甲斐源氏に伊澤氏を擧げ、源平盛衰記、甲斐國の武田一族を擧げて伊澤五郞信光、東盤一、三、七、+、十一、十二、十三、十五等に伊澤五郞信光あり。……また武田系圖にも「信義-信光(石和五郞)」と見ゆ、前項氏との關係詳かならず、或は云ふ信光は前項四郞信景の男ならんかと。後武田氏の總領職を相續す。此の後裔に伊澤氏あり、信光の子信忠の後なり、寛政系圖政重より系あり、家紋三菅笠、〓、柏子木。 3阿波伊澤氏阿波郡伊澤より起る、天正年間此の地の〓士に伊澤越前守賴俊あリ、三好家記に多く見ゆ、一宮長門守成助、吉井左衞門行康等と共に三好長治を殺し、細川持隆の子掃部頭眞之を擁立せんとして成らず、讀州引田城主矢野駿河守に殺さる。「天正五年伊澤越前守、坂西の城を築きて在るを、矢野駿河守夜討しけるが、思ひよらざる事にて総の人數に切立られ、伊澤も終に討れけり」と。其の系圖次の如し。

姓氏家系大辞典 第1巻 161コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

伊沢と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

伊沢に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が伊沢の前後にある名字です。

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