沢瀉

土井

どいDoi

全国297位 ・ 約7.4万人

土井(どい/つちい)は、前の項と通じて用いられる。

2件の公開家系図に 2人

基本情報

読み
どい
ローマ字
Doi
全国順位
全国297位
推計人数
約7.4万人
全国比率
日本人のおよそ0.061%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

土井をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Doi読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「土井」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第4巻 250コマに「家紋水車、澤瀉」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 越後国(新潟県)
  • 三河国(愛知県)
  • 下総国(千葉県・茨城県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

土井(どい/つちい)は、前の項と通じて用いられる。そのほか越後国(新潟県)古志郡に土井庄があり、「土井庄 田二百町三十歩」などと見える。また三河(愛知県)などにもこの地名がある。 【1】清和源氏土岐氏族 ― 三河国発祥の大族で、三河国額田郡の土井邑と関係があるだろう。伝えるところでは、前の項の第十四項の氏の一族で、土岐光定の子・定親、その子・原師親、その子・貞秀の子孫だという。利昌の子・利勝の代にはじめて世に知られた。家康に仕えて次第に身を起こし、ついに下総古河で十六万石を領した。 『藩翰譜』に、次のようにある。「大炊頭源利勝は、摂津守頼光朝臣の後、美濃国(岐阜県)の源氏・土岐の庶流、土居遠江守貞秀の末孫、小左衛門利昌の嫡男である。系図の伝えるところはこのとおりである。 世に伝えるのは、利勝の父・小左衛門といわれた人は徳川殿の外様侍とも、また刈屋の地下人とも申した。利勝は実は小左衛門の子ではなく、水野下野守殿の庶子で、徳川殿にとっては外戚を通じての従弟である。信元が討たれられたとき、利勝はわずか三歳でまだ人に知られていなかったので、乳母が我が子のようにして育て、小左衛門が養って子としたという。 また古い人の話を聞いたところ、あるとき徳川殿が鷹狩のためにお出ましになったところ、一人の女が道のほとりに幼い子を抱いており、御輿を迎えて涙にむせび、泣き口説いて申すことがあったので、やがてその子を召し連れられた。これが大炊頭利勝である。それゆえ、そのときは徳川殿の御子だとも申した。下野守殿の子であることは、このときによくお聞きになったのだろうと申した。本当だろうか」。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

土井ドヰツチヰ前條と通じ用ひらるその他、越後國古志郡に土井庄あり、「土井庄田二百町三十步」など見ゆ。又三河等に此の地名存す。 1〓和源氏土岐氏族三河國發祥の大族にして、當國額田郡土井邑と關係あらん。傳へ云ふ。前條第十四項氏の族にして、土岐光定の子定親、其の子原師親、其の男貞秀の裔と云ふ。利昌の子利勝に至り、始めて著はる。家康に仕へ、次第に身を起し、遂に下總古河にて十六萬石を領す。藩翰譜に「大炊頭源利勝は、攝津守頼光朝臣の後、美濃國の源氏土岐の庶流、土居遠江守貞秀が末孫、小左衞門利昌が嫡男なり。系圖の傳ふる所かくの如し。世に傳ふるは利勝が父小左衞門と聞えしは、德川殿の外樣侍とも、又は刈屋の地下人とも申せしなり。利勝·實は小左衞門が子にはあらず、水野下野守殿の庶子にて、德川殿の御爲には、外戚に付いての御從弟なり。信元の討たれ玉ふ時、利勝·年僅に三歲にて、いまだ人知らざりしかば、乳母·我が子の如くして育てしに、小左衞門·養つて子とすといふなり。又古き人の物語を聞きしに、或る時、德川殿、御鷹狩のため出させ玉ひしに、獨りの女、道の邊りに幼き子を抱き居たるが、御輿を迎へて涙に咽び、泣きくどきて申す事ありしに、やがてその兒を召し具せらる、是れ大炊頭利勝なり。されば其の時は德川殿の御子なりとも申しき。下野守殿の子たる事は、此の時によく聞し召したるらんと申せし。誠にや。

姓氏家系大辞典 第4巻 249コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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