石黒
いしぐろIshiguro
全国383位 ・ 約5.4万人
石黒(いしぐろ)は、越中国礪波郡の石黒から起こった。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- いしぐろ
- ローマ字
- Ishiguro
- 全国順位
- 全国383位
- 推計人数
- 約5.4万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.044%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
石黒をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Ishiguro読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 越中国(富山県)
- 大隅国(鹿児島県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
石黒(いしぐろ)は、越中国(富山県)礪波郡の石黒から起こった。『三州志』に「石黒○は『盛衰記』に名高い石黒太郎光弘の村である。その後、天文のころに石黒藤兵衛、天正年間に石黒右近などがあった」と見える。利仁流の藤原氏で、井口・斎藤・富樫などと同族である。 【1】越中の石黒氏 ― 『源平盛衰記』巻二十七に、越中国には野尻・河上・石黒党があるとし、また巻二十八に、越中国の住人・石黒太郎光弘は木曾義仲に従って福光城にいたとある。子孫は七流に分かれた。また『平家物語』『承久記』にも石黒氏が見え、『東鑑(吾妻鏡)』巻四十に石黒太郎を載せる。 その後、南北朝のころ石黒左近大夫将監成行という者があって宮方に属した(『南朝編年記略』)。興国三年の冬、中務卿宗良親王が越中国の石黒の館へ赴かれた(『李花集』)。戦国のころ、石黒の山本塁に石黒太郎光秀の二男・石黒宗五郎が拠った(『三州志』)。 また同郡の木舟に石黒氏があり、光弘の子孫が数代この城に居た。天正二年七月、上杉謙信が木舟城を攻め取った(『北越太平記』)という。また天正八年、石黒左近成親の時に織田氏の攻撃にあった(『越中旧事記』)などと諸書に見える。 木舟城主の歴代……(ここから原文は組版が入り乱れ、薩摩(鹿児島県)の伊敷氏の記事に飛ぶ)「大隅国(鹿児島県)肝属郡を賜り、同郡高山に移る。その後、伊敷弥次郎忠純が伴撤館の守護であった。忠純は長谷場六郎久純の二男で、伊敷村に住んだ。ゆえにこれを氏とする。藤野某の蔵書、嘉暦二年閏九月の探題英時下知状に、伊敷村名主四郎入道とある」。……(中略) さらに別の見出し「井式(きしき)」「石来(いしらい)」「石祝作(いしきつくり)」の記事が続く ―「石祝作は古代、石棺を作った職業部である。『古事記』垂仁段に『大后比婆須比売命の時、石祝作を定め、また土師部を定めた。この后は狭木之寺間陵に葬った』とあるのを初見とする」。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
石黑イシグロ越中國磁波郡石黑より起る、三州志に「石黑〓は盛衰記に名高き石黑太郞光弘の邑なり、其後天文の比に石黑藤兵衞、天正中石黑右近などありき」と見ゆ。利仁流藤原氏にして、井口、齋藤、富樫等と同族なり。 1越中の石黑氏源平盛衰記卷二十七に越中國には野尻、河上、石黑黨。また卷二十八に越中國住人石黑太郞光弘、木曾義仲に從ひ、福光城にあり、子孫七流に分る。又平家物語、承久記にも石黑氏見え、東鑑四十に石黒太郞を載せたり。其の後、南北朝の頃石黑左近太夫將監成行なるものありて宮方に屬す(南朝編年記略)。興國三年の冬、中務卿宗良親王·越中國石黑が館に赴かせ給ふ(李花集)。戰國の頃石黑の山本壘に石黑太郞光秀の二男石黒宗五郞據る(三州志)。又同郡木舟に石黑氏あり、光弘の後裔數世此の城に居る、天正二年七月、上杉證信木舟城を攻取る(北起太平記)と。又天正八年、石黑左近成親の時、織田氏の誅戰にあふ(越中舊事記)など物に見ゆ。木舟城主の歷글俊大隅國肝屬郡を賜り、同郡高山に移る。自後伊敷彌次郞忠純伴撤館に守護たり。忠純は長谷場六郞久純二男にて、伊數村に住す、故に氏とす。藤野某藏書嘉曆二年閏九月、探題英時下知狀に、伊敷村名主四郞入道とあり。……井式キシキ石來イシライ石祝作イシキツクリ古代石棺を作りし職業部なり、古事記垂仁段に「大后比婆須比賣命の時、石視作を定め、又土師部を定む。此の后は、狹木之寺間陵に葬る也」とあるを初見とす。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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石黒に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
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全国順位が石黒の前後にある名字です。
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