黒川
くろかわKurokawa
全国326位 ・ 約6.6万人
黒川(くろかわ)は、『和名抄』に下野国那須郡の黒川○、また陸奥国に黒川郡があって「久呂加波」と注記する。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- くろかわ
- ローマ字
- Kurokawa
- 全国順位
- 全国326位
- 推計人数
- 約6.6万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.054%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
黒川をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Kurokawa読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「黒川」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
『姓氏家系大辞典』第2巻 534コマに「家紋丸に揚羽蝶、藤丸」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 下野国(栃木県)
- 陸奥国(東北地方)
- 武蔵国(東京都・埼玉県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
黒川(くろかわ)は、『和名抄』に下野国(栃木県)那須郡の黒川○、また陸奥国(東北地方)に黒川郡があって「久呂加波」と注記する。そのほか武蔵(東京都・埼玉県)・近江(滋賀県)・飛騨(岐阜県)・信濃(長野県)・上野(群馬県)・磐城(福島県・宮城県)・岩代(福島県)・陸前(宮城県・岩手県)・羽前(山形県)・羽後(秋田県)・越後(新潟県)・石見(島根県)・備後(広島県)・周防(山口県)・肥後(熊本県)などにもこの地名があって、多くの黒川氏を起こした。 ……(中略)この氏は和田太郎義盛の六男・六郎兵衛尉義信の子孫で、その子の豊前守義治が黒川○の地頭に補され、子孫が黒川と号した(略風土記)。後世、黒川備後守為盛、同備前守光頼、同左馬助らがある。元弘三年の文書に「三浦和田八郎茂義」、また建武元年の文書に「三浦和田彦四郎茂置、および和田又次郎、家人三浦平四郎、和田又三郎」らが見える。この一族だろうという。 また同郡古館村の城(古館村)は黒川豊前守の居城である。また蔵王権現の鰐口の銘に「金光山鰐口、如意輪権現、越後国蒲原郡奥山黒川、大檀那 平朝臣氏実、平実隆、平村義、平元義。時に永享八年二月吉日。願主 祐海、実時、貞義」を載せる。 また『北越軍記』に下越後の武士「黒川備後、黒川備前」、また『北国太平記』に「黒川左馬助」、謙信様御分城持大名に「黒川備前守」などが見え、また蒲原郡彌彦邑の黒滝城は黒川入道という者が拠ったことがあるという。 【2】藤原姓頓宮氏流 ― 近江国甲賀郡の黒川邑から起こった。関白道長の子孫と称する。頓宮氏の一族で、因幡守孝政の三男・黒川久内から出る。甲賀二十一家、北山九家の一つである。『案内記』に「黒川氏の砦址は鮎川村の東南の山上にある。黒川大和守以下、代々ここに居り、永禄年中、黒川玄蕃が六角氏に属した」とある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
黑川クロカハ和名抄、下野國那須郡に黒川〓、また陸奥國に黑川郡あり、久呂加波と註す。其の他、武藏、近江、飛驒、信濃、上野、磐城、岩代、陸前、羽前、羽後、越後、石見、備後、周防、肥後等にも、此の地名存して多くの黑川氏を起す。……此の氏は、和田太郞義盛の六男六郞兵衞尉義信の後にして、その子豐前守義治·黑川〓の地頭に補せられ、子孫黑川と號す(略風土記)。後世、黑川備後守爲盛、同備前守光頼、同左馬助等あり。元弘三年の文書に「三浦和田八郎茂義、」また建武元年文書に「三浦和田彥四郞茂置、及び和田又次郞、家人三浦平四郞、和田又三耶等見ゆ。此の族ならんと。又同郡古館村城(古館村)は黒川豐前守の居城也。又藏王權現歸口銘に「金光山鰐口、如意輪權現、越後國蒲原郡奥山黑川大檀那、平朝臣氏實、平實隆、平村義、平元義。時に永享八年大才丙辰二月吉日。願主祐海、實時、貞義」を載せ、又北越軍記に、下越後の士「黑川備後、黑川備前、」また北國太平記に「黑川左馬助、」謙信樣御分城持大名に、「黑川備前守」等見え、又蒲原郡彌彥邑黒瀧城は黒川入道なるもの據りし事ありと云ふ。 2藤姓頓宮氏流近江國甲賀郡黒川邑より起る。關白道長の裔と稱す。頓宮氏の族にして、因幡守孝政の三男黑川久內より出づ。甲賀廿一家、北山九家の一なり。案內記に「黑川氏砦址は鮎川村の東南山上にあり。黑川大和守以下、歷世之に居リ、永祿年中、黑川玄蕃·六角氏に屬す。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
黒川と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
黒川に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「黒」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が黒川の前後にある名字です。
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