黒崎
くろさきKurosaki
全国901位 ・ 約2.1万人
黒崎(くろさき)は、常陸・陸前・陸中・加賀・播磨・備中・筑前などにこの地名があり、この氏を起こした。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- くろさき
- ローマ字
- Kurosaki
- 全国順位
- 全国901位
- 推計人数
- 約2.1万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.017%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
黒崎をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Kurosaki読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「黒崎」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
丸に一文字
横一文字に引いた線の図案。
『姓氏家系大辞典』第2巻 539コマに「家紋竹の丸に一文字」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 陸前国(宮城県・岩手県)
- 陸中国(岩手県・秋田県)
- 加賀国(石川県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
黒崎(くろさき)は、常陸(茨城県)・陸前(宮城県・岩手県)・陸中(岩手県・秋田県)・加賀(石川県)・播磨(兵庫県)・備中(岡山県)・筑前(福岡県)などにこの地名があり、この氏を起こした。(このあと原文の組版が入り乱れ、別項「黒沢」の記事が混じる) 「藤原姓 ― 越後(新潟県)の豪族で、古志郡の飯野城(飯野村)はこの氏の拠城であった。姓は藤原氏。享禄二年、黒崎慶半入道勝宗に至って長尾氏景と戦い敗死した。また三島村の黒沢館に居って氏とする。天正中、伊達政宗のために所領を失った。同十九年、蒲生飛騨守氏郷の軍に従って福岡に来た。同九月、九戸の役が散じた後、氏郷の請いによって信直公に召し抱えられた、云々」……(中略) 「はたして黒沢尻氏の後であるかどうかは甚だ疑わしい。以下の各項および『クロザハシリ』の項を参照。幕臣の黒沢氏も同族で、『寛政系譜』に『黒沢尻正任の後、小松重光の子・重久が黒沢に改める』とある。家紋は竹の丸に一文字。『中興系図』に『黒沢。安倍姓、本国は陸奥(東北地方)、紋は酢漿草。安倍大夫頼良の五男・五郎正任がこれを称した』とあるのは、黒沢尻氏と混同したものである」 「【2】平姓 ― 『参考諸家系図』はまた『小松修理亮安倍重光の長男。紋は酢漿草。あるいは姓は平氏、本名は吾妻。五百石、黒沢内膳家。重久は始め小松杢助、黒沢次郎右衛門。永禄六年十一月、父の重光が伊達輝宗のために戦死した。時に重久は九歳である。叔父の妙心院国的がこれを隠して僧とし、順巴と号した。後に父の訳を知って還俗し、二本松右京亮義継に仕えた、云々』とある。前項の氏と同じだが、一説に平姓というのを見れば、次項と同じか」 「【3】桓武平氏葛西氏流 ― 陸中国磐井郡の黒沢邑から起こった。葛西清重の四男・時重の子孫と称する」。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
黑崎クロサキ常陸、陸前、陸中、加賀、播磨、備中、筑前等に此の地名存し、此の氏を起す。藤原姓越後の豪族にして、古志郡飯野城(飯野村)は此の氏の據城なりき。姓は藤原氏。享祿二年、黑崎慶半入道勝宗に至リ、長尾氏景と戰ひて敗死す。又三嶋村上黑澤館に居りて氏とす。天正中、伊達政宗の爲に所領を失ふ。同十九年、蒲生飛驒守氏〓の軍に從ひて、福岡に來る。同九月、九戶の役散じて後、氏〓の請に依りて、信直公·召抱らる云々。……果して黒澤尻氏の後なるや否や、甚だ疑はし、以下各項、及びクロザハシリ條參照。幕臣黒澤氏も同族にして、寛政系譜に「黑澤尻正任の後、小松重光の子重久、黑澤に改む」。と家紋竹の丸に一文字。中興系圖に「黑澤、阿部姓、本國陸奥、モン酸草、安部大夫賴良五男、五郞正任·稱之」とあるは、黑澤尻氏と混同する也。 2平姓參考諸家系圖は、また「小松修。理亮安部重光長男。紋酢漿。或は姓·平氏、本名吾妻。五百石、黑澤內膳家。重久は始め小松杢助、黑澤次郞右衞門、永祿六年十一月、父重光·伊達輝宗の爲に戰死す。時に重久·九歲也叔父妙心院國的、之を隱して僧とし、順巴と號す。後父の譯を知り還俗して二本松右京亮義欄に仕ふ云々」と。前條氏に同じけれど、一に平姓と云ふを見れば、次項に同じきか。 3桓武平氏葛四氏流陸中國磐井郡黑澤邑より起る。葛西〓重の四男時重の後なりと稱す。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
黒崎に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
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全国順位が黒崎の前後にある名字です。
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