岩谷
いわたにIwatani
ほかの読み: いわや
全国903位 ・ 約2.0万人
岩谷(いわや)は、「岩屋」と通じて用いられる。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- いわたに ・ いわや
- ローマ字
- Iwatani
- 全国順位
- 全国903位
- 推計人数
- 約2.0万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.017%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
岩谷をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
「いわたに」と読む場合
Iwatani読みをそのまま写した形
「いわや」と読む場合
Iwaya読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 羽後国(秋田県)
- 播磨国(兵庫県)
- 岩代国(福島県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
岩谷(いわや)は、「岩屋」と通じて用いられる。 【1】羽後(秋田県)の岩谷氏 ― 「岩屋氏」ともある。由利十二党の一つで、由利郡の岩谷邑から起こった。『矢島十二頭記』に「岩谷館。忠兵衛とも内記とも申す。何代ということは知れない。知行所は今の亀田の岩谷、打越と続く所である」とある。 また『新風土記』に「岩谷館跡は岩谷町にある。元亀・天正のころに右兵衛朝繁、あるいは播磨守朝祐、あるいは重次郎と名乗る人があって、処々の戦場に出張した。慶長年間、岩谷右兵衛は三千石で最上義光に仕えた」とあり、最上義光分限帳に「由利中検地、岩屋忠兵衛領分」と載せる。元和八年に没落した。 【2】岩代(福島県)の岩谷氏 ― 藤原姓、家紋は小波に兎である。 【3】そのほか水口加藤藩の○頭をはじめ、備前(岡山県)・志摩(三重県)などにこの氏がある。 (続いて別の見出し「巌谷(いわや)」の記事)― 石見(島根県)にある。岩谷氏と同じか。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
岩谷イハヤ岩屋と通じ用ひらる。 1羽後の岩谷氏岩屋氏ともあり、由利十二黨の一にして由利郡岩谷邑より起る。矢島十二頭記に「岩谷館、忠兵衞とも內記とも申候、何代と申事知れず。知行所は今龜田の岩谷、打越と續申所也」と又新風土記に「岩谷館跡は岩谷町にあり、元急天正の頃に右兵衞朝繁、或は播磨守朝祐、或は重次郞と名乘る人ありて、處々の戰場に出張せり。慶長年間岩谷右兵衞三千石にて最上義光に仕ふ、」と最上義光分限帳に「由利中檢地、岩屋忠兵衞領分、」と載す。元和八年沒落せり。 2岩代の岩谷氏藤原姓、家紋小波に兎なり。 3其の他、水口加藤藩の香頭を始め、備前、志摩等に此の氏あり。巖谷イハヤ石見にあり、岩谷氏に同じきか。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
岩谷と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
岩谷に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「岩」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が岩谷の前後にある名字です。
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