宇田川

うだがわUdagawa

全国897位 ・ 約2.1万人

宇田川(うだがわ)は、武蔵・大和・伯耆などにこの地名があり、いずれも宇田川氏を起こした。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
うだがわ
ローマ字
Udagawa
全国順位
全国897位
推計人数
約2.1万人
全国比率
日本人のおよそ0.017%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

宇田川をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Udagawa読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 武蔵国(東京都・埼玉県)
  • 伯耆国(鳥取県)
  • 和泉国(大阪府)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

宇田川(うだがわ)は、武蔵(東京都・埼玉県)・大和(奈良県)・伯耆(鳥取県)などにこの地名があり、いずれも宇田川氏を起こした。 【1】佐々木氏流 ― 『武蔵風土記稿』荏原郡北品川宿の条に「神主・小泉出雲勝延。系図に『祖先は佐々木の庶流・宇田川太郎左衛門某の裔、宇田川和泉守長清である。長禄のころ豊島郡日比谷○に住み、後にこの所へ移る』とある。 太田道灌の日記に『長禄中、道灌は長清を品川の館に居らせた』とある。長清の四代の孫・石見守勝種は元亀・天正のころ、この社の神職で、兼ねて北条氏に属して軍役を勤めた。 『小田原記』に、大永四年正月十三日、北条氏綱が江戸城を乗っ取り、品川の住人・宇田川和泉守以下の降参した者どもに普請のことを命じたとあるので、初めて北条氏に属したのは和泉守長清である。同書に、永禄十二年、武田信玄が小田原へ出張した時、この辺りを追捕し、品川の宇田川石見守・鈴木らを追い払ったとある。 また家蔵の古文書の写しに、石見守父子、そのほか都合五人が連署して品川の百姓らに下知したことが見える。よって思うに、この人は代々土着して代官などを勤めたのだろう。勝種は天正十八年十月五日に死んだ。子は二人、兄の出雲守勝定は家を継ぎ、弟の豊前定正は北品川宿の名主・兵三郎の祖である。 勝定の子・小泉出雲勝重は、実は橘樹郡平村八幡社の神職・小泉某の次子である。文禄中、勝定の養子として家を継がせた。これより小泉を氏とする。慶長十九年、摂州(大阪府・兵庫県)大坂の役に御祈祷を勤めて、台徳院御筆の短冊および時服・白銀などを賜わった。短冊は『詞花集』待賢門院堀河の歌を書いて給わった」と見える。 また宇田川氏の条に「北条の家人・宇田川石見守勝重の子孫で、累代土着する。『小田原記』に、永禄十年、勝種がこの所にあって信玄を食い留めようとして敗走したことが見える。子が二人ある。長子の出雲守勝定はこの所の稲荷社の神職となる。これが今の小泉出雲の祖である。次男の豊前定正は御打ち入りの時、御案内申したことにより名主役を命ぜられた」とある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

宇田川ウタガハ武藏、大和、伯耆等に此の地名ありて何れも宇田川氏を起す。 1佐々木氏流武藏風土記稿荏原郡北品川宿條に「神主小泉出雲勝延。系圖に『祖先は佐々木の庶流宇田川太郞左衞門某奇、宇田川和泉守長〓なり。長祿の頃豐島郡日比谷〓に住し、後當所に移る』太田道灌日記に『長祿中道灌、長清をして、ウタカキ-ウタカハ品川の館に居しむ』と。長〓四代の孫石見守勝種、元亀天正の頃、當社神職にて兼て、北條氏に屬て軍役を勤む。小田原記に大永四年正月十三日、北條氏綱江戶城を乘取、品川の住人宇田川和泉守以下降參の者共に普請の事を命ずとあれば、初て北條氏に屬せしは和泉守長清なり。同書永祿十二年武田信玄小田原出張の時此邊を追捕し、品川の字田川石見守、鈴木等を追拂とあり。又家藏古文書の寫に、石見守父子、其外都て五人連署して、品川百姓等に下知せし事みゆ。據て想ふに此人代々土着して代官など勤めしならん勝種は天正十八年十月五日死す。子二人、兄出雲守勝定は家を權、弟豐前定正は北品川宿名主兵三郞が祖なり。勝定の子小泉出雲勝重實は橘樹郡平村八幡社神職小泉某の次子なり、文祿中勝定養子として家を繼しむ。是より小泉を氏とす、慶長十九年攝州大阪の役に御祈禱を勤して、以て台總院御筆の短冊、及時服白銀等を賜、短冊は調花集待賢門院堀河の歌を書して給ふ、」と見え、又字田川氏條に「北條の家人宇田川石見守勝重が子孫にて、累代土着す。小田原記に永祿十年歸種當所に在て信玄を喰留んとして敗走せしこと見ゆ。子二人あり、長子出雲守勝定は當所稻荷社の神職となる。是今の小泉出雲が祖なり。次男豐前定正は御打入の時御案内申せしにより名主役を命ぜらる、」と。

姓氏家系大辞典 第1巻 333コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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