巴

村井

むらいMurai

全国334位 ・ 約6.4万人

村井(むらい)は、信濃・下野などにこの地名がある。

1件の公開家系図に 1人

基本情報

読み
むらい
ローマ字
Murai
全国順位
全国334位
推計人数
約6.4万人
全国比率
日本人のおよそ0.052%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

村井をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Murai読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「村井」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第6巻 181コマに「家紋左三巴、蔓柏」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 信濃国(長野県)
  • 長門国(山口県)
  • 播磨国(兵庫県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

村井(むらい)は、信濃(長野県)・下野(栃木県)などにこの地名がある。 【1】佐々木氏族 ― 佐々木定通の子・四郎定平(あるいは「定通―真野源二定時―四郎定平」とする)が村井を称した、その子孫である。家記には「佐々木三郎秀恭の末孫である」とある。家紋は左三巴、蔓柏。『京極殿給帳』に「四百五十石 村井奥兵衛、二百石 村井作十郎、三百石 村井理右衛門、二百石 村井市三郎、八十石 村井仁兵衛」などを載せる。また大村藩士に村井氏があり、『士系録』に「源氏・蒲生家士」とあるのがこの一族か。また『寛政系譜』に村井清左衛門正勝(寛永の幕臣)から系がある。 【2】源姓 ― 戦国末に村井吉兵衛貞勝があり、民部丞・長門守などに補された。織田信長に従い、元亀四年七月に京都所司代となった。天正九年に入道して春長軒と号し、十年の本能寺の変では二条城にあって戦死した。その子の○二郎もまた戦死した。 また貞勝の孫に監物成政(池田輝政の○)があり、姫路城主・本多忠刻に仕え、後に播州(兵庫県)・美作(岡山県)の各地に住んで立甫と号した。また幕末の蔵人所衆に村井修理少進正礼があり、勤王の志士で正五位を贈られた。 【3】尾張(愛知県)の村井氏 ― 村井又兵衛長頼があり、前田氏に仕えて功が非常に多く、従五位下・豊後守に至った。『三州志』に「天正十二年、国祖(前田利家)は佐々成政の陰謀を知って村井長頼に砦を築かせ、越中(富山県)を鎮め、高畠九蔵・原田又右衛門を副将とし、さらに足軽大将四隊を添えた」という。「高畠」の項を参照。 また長○略記に「天正十三年六月、守山の神保父子がこの城を囲んだ。前田・片山らがよく防ぎ、さらに村井長頼が援けて、敵の首八十三を斬り取った」という。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

村井ムラヰ信濃、下野等に此地名あり。 1佐々木氏族佐々木定通の男四郞定平(或は「定通-眞野源二定時-四郞定平」に作る)·村井を稱す、その後也。家記には「佐々木三郞秀恭の末孫也」とあり。家紋左三巴、蔓柏。京極殿給帳に「四百五十石村井奥兵衞、二百石村井作十郞、三百石村井理右衞門、二百石村井市三郞、八十石村井仁兵衞」等を載せ、大村藩士に村井氏ありて、士系錄に「源·蒲生家士」と此の族か。又寬政系謂に村井清左衞門正勝(寛永幕臣より系あり。 2源姓戰國末、村井吉兵衞貞勝あり、民部丞、長門守等に補せらる。織田信長に從ひ、元龜四年七月、京都所司代となる。天正九年入道·春長軒と號し、十年本能寺の變、二條城に在りて戰死す。その男〓二郞も亦戰死せり。又貞勝の孫に監物成政(池田輝政の場)あり、姫路城主本多忠刻に仕へ、後播州美作の各地に居リ、立甫と號す。又幕末藏人所衆に村井修理少進正禮(實は尾張齋聖寺權少僧都の思ひあり、動王の志士、贈正五位。 3尾張の村井氏村井又兵衞長賴あり、前田氏に仕へ功甚だ多く、從五位下、豐後守に至る。三州志に「天正十二年、國祖·成政の隱謀を知りて、村井長賴をして築堡なさしめ、越中を鎭し、高畠九蔵、原田又右衞門を裨將とし、且つ足輕大將四隊を副ふ」と云ふ。高畠條參照。又長激略諸に「天正十三年六月、守山の神保父子·此の城を圍む。前田、片山等よく防ぎ、且つ村井長賴援けて、敵首八十三斬取」と云ふ。

姓氏家系大辞典 第6巻 181コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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