山浦
やまうらYamaura
全国1177位 ・ 約1.5万人
山浦(やまうら)は、越後・筑後・肥前・日向などにこの地名がある。
1件の公開家系図に 2人
基本情報
- 読み
- やまうら
- ローマ字
- Yamaura
- 全国順位
- 全国1177位
- 推計人数
- 約1.5万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.012%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
山浦をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Yamaura読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 越後国(新潟県)
- 筑後国(福岡県)
- 肥前国(佐賀県・長崎県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
山浦(やまうら)は、越後(新潟県)・筑後(福岡県)・肥前(佐賀県・長崎県)・日向(宮崎県)などにこの地名がある。 【1】清和源氏村上氏族 ― 越後国蒲原郡山浦邑から起こる。信州(長野県)の村上義清の子・国清が当国に来て山浦源吾と称した。「長尾系図」に山浦入道殿と載せる。沼垂郡笹岡城(笹岡村)はもと中条氏の居城であったが、天正頃、山浦源吾国清がこの城にあった。その後、御館の乱の功により、今井源右衛門が景勝からこの城を賜った。 【2】藤原北家上杉氏族 ― 上杉意藤の男・朝房の孫・朝芳を祖とするという。 【3】奥州(東北地方)会津の山浦氏 ― 先祖を江口市之丞義次という。蒲生家に仕えて物頭を勤めた。 【4】筑後三瀦郡山浦(鏡山文書)から起こる。近藤文書の永仁五年十月二十二日譲状に「やまうら二らうにうどう」を載せ、田中家臣知行割帳に「三百石 山浦源右衛門」を収める。 【5】肥前養父郡山浦村から起こる。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
山浦ヤマウラ越後、筑後、肥前、日向等に此の地名存す。 1〓和源氏村上氏族越後國蒲原郡山浦邑より起る。信州の村上義〓の子國清·當國に來りて山浦源吾と云ふ。長尾系圖に山浦入道殿と載せたり。沼垂郡笹岡城(笹岡村)はもと中條氏の居城なりしが、天正頃山浦源吾國〓·當城にあり。その後、御館亂の功によりて、今井源右衞門·景勝より當城を賜ふ。 2藤原北家上杉氏族上杉意藤の男朝房の孫朝芳を祖とすと云ふ。 3奥州會津山浦氏は先祖を江口市之丞義次と云ふ。蒲生家に仕へて物頭を動む。 4筑後三瀦郡山浦(鏡山文書)より起り、近藤文書、えいにん五年十月二十二日讓狀に「やまうら二らうにうどう」を載せ、田中家臣知行割帳に「三百石山浦源右衞門」を收む。 5肥前養父郡山浦村より起る。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ漢字を使う名字
山浦に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
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全国順位が山浦の前後にある名字です。
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