大迫

おおさこOosako

全国1171位 ・ 約1.5万人

大迫(おおはさま・おおせこ)は、藤原北家稗貫氏流 ― 陸中国稗貫郡大迫から起こる。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
おおさこ
ローマ字
Oosako
全国順位
全国1171位
推計人数
約1.5万人
全国比率
日本人のおよそ0.012%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

大迫をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Oosako読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 陸中国(岩手県・秋田県)
  • 伯耆国(鳥取県)
  • 薩摩国(鹿児島県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

大迫(おおはさま・おおせこ)は、藤原北家稗貫氏流 ― 陸中国(岩手県・秋田県)稗貫郡大迫から起こる。稗貫氏の一族で、大迫城に拠った。郷土史に「この城はもと稗貫氏の属城である。天正十九年、大迫右京が遠く九戸政実に応じて南部氏に叛いたが、九戸氏が滅んだ後、逃れて江刺郡人首村に隠れた」とある。 その後、関ヶ原の役に再挙をはかった。「奥南盛風記」に「稗貫家の旧士・大迫右近は流浪の後、重代の由緒の品々を白鳳山桂林寺に預け置き、江刺郡人首村に忍んでいたが、慶長五年の乱に、右近の二子・又三郎、又右衛門が大迫へ立ち戻り、一揆を企てた。 伊達政宗公から猪倉伯州(鳥取県)が加勢として乱入し、ついに大迫の館を攻め破り、兄弟が本領を取り返した。しかし久しからずして退散し、大迫の家は断絶した」と見える。 【2】薩摩(鹿児島県)の大迫氏 ― 「ナホセコ」の項を見よ。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

大迫オホハサマオホセコ藤原北家稗貫氏流陸中國稗貫郡大迫より起る。稗貫氏の族にして、大迫城に據る。郷土史に「此の城はもと稗貫氏の屬城なり。天正十九年、大迫右京、遙に九戶政實に應じ、南部氏に叛きしが、九戶氏亡びて後、逃れて江刺郡人首村に匿る」と。其の後、關ヶ原役再擧をはかる、奥南盛風記に「稗貫家の舊士、大迫右近は流浪の後、重代の由緒物は、白鳳山桂林寺へあづけおき、江刺郡人首村に忍び居りしに、慶長五年の亂に、右近の二子、又三郞、又右衞門、大迫へ立戾リ、一枚を企つ。伊達政宗公よリ、猪倉伯州·加勢として亂入す。遂に大迫の館を攻破り、兄弟にて本領を取返したり。而も久しからずして退散、大迫の家斷絕す」と見ゆ。 2薩摩の大迫氏ナホセコ條を見よ。

姓氏家系大辞典 第2巻 68コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

大迫と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

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「大迫」で始まる・大迫を含む名字

大迫の字をそのまま含む、より長い名字です。

同じくらいの多さの名字

全国順位が大迫の前後にある名字です。

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