上り藤

小宮山

こみやまKomiyama

全国1190位 ・ 約1.5万人

小宮山(こみやま)は、籠山とも、小見山ともいう。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
こみやま
ローマ字
Komiyama
全国順位
全国1190位
推計人数
約1.5万人
全国比率
日本人のおよそ0.012%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

小宮山をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Komiyama読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「小宮山」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第3巻 64コマに「家紋丸に違矢、籠目、上り藤、松皮菱等にて、義光流」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 信濃国(長野県)
  • 甲斐国(山梨県)
  • 近江国(滋賀県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

小宮山(こみやま)は、籠山とも、小見山ともいう。 【1】藤原姓 ― 信濃国(長野県)佐久郡小宮山邑から起こる。また籠山氏ともある。「東鑑」建保元年二月十六日の条に「籠山次郎、信州住人」とある。「甲斐国(山梨県)志」は、小宮山はこの後裔かという。一に、鎌足の後、大夫将監氏長が守平親王に供奉して信州に下り、数代を経て小宮山に住み、氏としたという。また清和源氏ともいう。次項を見よ。 【2】清和源氏武田氏流 ― 巨摩郡の名族である。前項の氏の後だが、一に武田氏族ともいう。「甲斐国志」に「後年、近江守氏継の次男・六郎氏久が本州に来て武田信昌に仕えた。その子・丹後守昌友、その子・内膳友晴は、ついに勝頼に殉じた。 その弟○(原文が崩れている)は勝頼夫妻をはじめ殉死した士女の霊を弔った。その弟の亦七郎昌親は幕府に仕えた。丹後守の弟を土佐守忠房という。その男・四郎左衛門忠道(実は丹後(京都府)の四男)などが著れる。 土佐守は小河原に住んだ。後に忠道は村山に居を移し、村人・大柴氏に倚った。子孫はその地で栄えた」とある。 昌照寺に伝わる「小宮山氏系図」には「逸見の支流で、信濃小宮山に住んで氏号とした。小宮山民部少輔信安の四世・備前守昌○(一字が原文で崩れている)に二子があり、丹後守、土佐守がこれである。紋は下り藤の丸」とある。 小宮山氏はいう。「内膳正友信は天正十年三月十一日、甲州天目山で旧主・勝頼が自害した際、廃嫡の身でありながら死をともにしたことで名がある。……」 この小宮山氏は藤原氏から出たといい、「駿台雑話」に、○(原文が崩れている)の子がなく祭祀が絶えるのを哀れみ、内膳の弟・又七郎を召し出されたとある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

小宮山コミヤマ籠山とも、小見山ともあり。 1藤原姓信濃國佐久郡小宮山邑より起る。又籠山氏とあり。東鑑、建保元年二月十六日條に「籠山次郞、信州住人」あリ。甲斐國志に小宮山は、此の後かと云ふ。一級、鎌足の後大夫將監氏長、守平親王に供奉して信州に下る。數代にして小宮山に住し、氏とすと云ふ。又清和源氏とも云ふ。次項を見よ。 2〓和源氏武田氏流巨摩郡の臺族也。前項氏の後なれど、一に武田氏族とも云ふ甲斐圓志に「後年近江守氏繼の次男六郞氏久·本州に來り、武田信昌に仕ふ。其の畜丹後守昌友、其の子内膳友晴縦良勝賴に殉す。其の弟拈橋·勝賴夫妻を初め、殉死の士女の遺憾を吊ふ。其の弟亦七郵昌親、幕府に仕ふ。丹後守の弟を土佐守忠房と云ふ。其の男四郞左衞門忠道(實は丹後の四男)等著はる。土佐守は小河原に住す。後忠道村山に居を移し、村人大柴氏に倚る。子孫その地に榮ゆ。昌照寺所傳小宮山氏系圖には「逸見の支流.信濃小宮山に住居して氏號となす。小宮山民部少輔信安の四世備前守昌〓に二子あり、丹後守、土佐守、これ也。蚊上り藤の丸、」と。小宮山氏曰く『內膳正友信は天正十年三月十一日、甲州天目山、舊主勝頼生害の節.廢鋼の身なれど、死を共にせしを以つて名あり。……この小宮山氏は藤原氏より出づと云ひ、駿臺雜話にでの子なくして祭祀の絕ゆるを哀れみ給ひて、內膳が弟又七郞を召し出さる」とあリ。

姓氏家系大辞典 第3巻 63コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

小宮山と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

小宮山に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

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全国順位が小宮山の前後にある名字です。

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