宮島
みやじまMiyajima
全国579位 ・ 約3.4万人
宮島(みやじま)は、『和名抄』が三河国宝飯郡に宮島○を載せて「美也之末」と読む。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- みやじま
- ローマ字
- Miyajima
- 全国順位
- 全国579位
- 推計人数
- 約3.4万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.028%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
宮島をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Miyajima読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「宮島」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
丸に梶
三つに裂けた梶の葉を一枚、茎を下にして描いた図案。
『姓氏家系大辞典』第6巻 140コマに「紋は丸の内に梶の葉」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 三河国(愛知県)
- 越中国(富山県)
- 安芸国(広島県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
宮島(みやじま)は、『和名抄』が三河国(愛知県)宝飯郡に宮島○を載せて「美也之末」と読む。後世、牛久保近くの邑を宮島荘という。そのほか越中(富山県)・安芸(広島県)などにこの地名がある。 【1】諏訪氏族 ― 武蔵国(東京都・埼玉県)入間郡の名族で、『新編風土記』に「上吉田村の宮島氏。先祖を縫殿助と称し、信濃国(長野県)諏訪の一族で、天正年中にこの所へ移ったという。ゆえに鎮守として諏訪明神を村内に勧請したという。紋は丸の内に梶の葉である。また松本を氏とする村民・丈助は諏訪氏の家人であったなどという。 按ずるに、寺井宿真行寺の開基・真行尼は武田信玄の妹であったが、勝頼滅亡の後、上吉田村にしばらく住み、その後この寺を開いたと言い伝える。今、村内では真行尼のことを伝えないが、宮島・松本の二人は武田氏に仕えた者だというので、尼も頼ってここへ来たのだろう」とある。次項の氏と同じだろう。……(中略) 【3】越後(新潟県)の宮島氏 ― 上杉政○の家臣にこの氏がある。また宮島三河守は沼垂郡新発田城および古志郡大野城などの城主であった。また○尾城主ともある。「志賀」「丸山」などの項を参照。 【4】伴姓 ― 甲賀郡の豪族で、甲賀五十三士の一つである。郡内の平松邑にその宅跡がある。伝えていうには「伴善男の男・善平が平松神社の祠官となってこの地に居り、後裔が宮島氏と称した」という。「平松」の項を参照。宮島掃部介宗久、その弟・左衛門二郎重秀らは六角高頼に仕え、鈎の戦に功があった。 【5】賀茂姓 ― 上賀茂神社の社家で、賀茂○……(この一行は原文の字が崩れている) 【6】豊前(福岡県・大分県)の宮島氏 ― 企救郡の豪族で、元亀・天正のころ、宮島郷左衛門がある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
宮島ミヤシマ和名抄、三河國寳飯郡に宮島〓を載せて美也之末と訓ず。後世、牛久保近邑を宮島莊と目ふ。その他、越中、安藝等に此の地名存す。諏訪氏族武蔵國入間郡の名族にして、1新編風土記に「上吉田村宮島氏。先祖を縫殿助と稱し、信義國諏訪の一族にて、天正年中當所ヘ移リしとなり。故に鎭守歐訪明神を村内に勸請すと云ふ紋は丸の内に梶の葉なり。又松本を氏とせる村民丈助は、諏訪氏の家人なりしなどいへり。按ずるに、寺井宿眞行寺の開基眞行尼は武田信玄の妹なりしが、勝賴滅亡の後、上吉田村に暫く住し、其の後、彼の寺を開きしと云ひ傳ふ。今村内にて、眞行尼の事を傳へざれど、宮島、松本の二人は武田氏に仕へし者なりといへば、尼も便つて爰に來りしなるべし」と。次項氏に同じかるべし。……3越後の宮島氏上杉政最家臣に此の氏あり。又宮島三河守は沼垂郡新發田城、及び古志郡大野城等の城主なりき。又樣尾城主ともあり、志賀、丸山等條參照。伴姓甲賀郡の豪族にして、甲賀五十三士の一也。郡内平松邑に其の宅跡あり、傳へ云ふ「伴善男の男善平·平松神社の祠官と爲りて、此の地に居り、後裔宮島氏と稱す」とぞ。平松條を見よ。宮島掃部介宗久、その弟左衞門二郞重秀等、六角高頼に仕へ、鈎の戰に功あり。 5賀茂姓上賀茂神社の社家にして、賀度輕生6醫前の宮島氏企救郡の豪族にして、元亀天正の頃、宮島郷左衞門あり。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
宮島と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
宮島に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「宮」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が宮島の前後にある名字です。
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