蝶

宮村

みやむらMiyamura

全国1207位 ・ 約1.4万人

宮村(みやむら)は、武蔵・下総・羽前などにこの地名が存する。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
みやむら
ローマ字
Miyamura
全国順位
全国1207位
推計人数
約1.4万人
全国比率
日本人のおよそ0.012%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

宮村をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Miyamura読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「宮村」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第6巻 148コマに「家紋丸に折鐘、揭羽蝶」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 武蔵国(東京都・埼玉県)
  • 下総国(千葉県・茨城県)
  • 羽前国(山形県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

宮村(みやむら)は、武蔵(東京都・埼玉県)・下総(千葉県・茨城県)・羽前(山形県)などにこの地名が存する。 【1】藤原姓 ― 肥前国(佐賀県・長崎県)彼杵郡宮村から起こる。○村の正蓬寺にある大阿○陀如来像の胎内の銘文に「時に永正五年己巳七月下旬吉日、肥前国彼杵村実杵山妙音寺の住山……大檀那宮村能登守通貞。大願主大安住山令玄首座がこれを記す」とある(この一節は原文が崩れている)。 また「郷村記」に「当村は応安の頃から、宮村駿河守藤原通景、同勧解由太夫通茂、同掃部介通治、同彦五郎通種、同江上弾正忠藤原通宜の領地であり、その後永正の頃には同能登守通定であった」とある。……(中略)また正平・応安の一揆連判状に前記の「通景・通茂・通治・通種・通宣」らを載せ、なおこれらの人名は永正中に造立された彼杵村大安寺本尊仏にも記されているという。 永正の頃、能登守通定の代になり、家臣が叛いて能登守を追った。嫡男の悪四郎は大いに戦ったという。その後、大村山城守純次が地頭となり、純伊の末子・太郎左衛門純淳を養子とし、純淳の男・三河守純種は永禄十二年に貴明に属して、七月四日の葛の峠の戦いのことなどが「堀村記」に見える。 伝説によれば、この氏は宇都宮弥三郎の後裔だといい、萩坂に宇都宮神社があって一村の鎮守となっている。また神社の付近には能登守通貞の居館の跡も残り、「大村家記」では宮村能登通定と作る。「士系録」には「宮村(沢勢)。藤姓、宇都宮弥三郎後胤・通定……(引用はここで途切れている)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

宮村ミヤムラ武藏、下總、羽前等に此の地名存す。 1藤原姓虎前國杵郡宮村より起る。常村正蓬寺大阿劉陀如來膜內の銘文に「時に永正五天己巳年七月下旬吉日、肥前國彼杵村實杵山妙音寺住山、作者有池聖く。大檀郡宮村能登守通貞。大願生大安住山令玄首座·之を誌す」と。又郷村記に「當村は、應安の頃より、宮村駿河守藤原通景、同勸解由太夫通茂、同掃部介通治、同彦五郞通種、同江上彈正忠藤原通宜の領地なり。其の後、永正の頃には同能登守通定」ありと。……又正平應安一揆連判狀に前進の「通景、通茂、通治、通種(種)、通宣」等を載せ、猶ほ此の人名は、永正中造立の彼杵村大安寺本尊佛にも記しありと。永正の頃、能登守通定の世となり、家臣叛して、能登守を追ふ。嫡男惡四郞·大に戰ふ、云々。後大村山城守純次·地頭となり、純伊の末子太郞左衛門純淳を養一、純淳の男三河守純種·永祿十二年、貴明に屬し、七月四日、葛の峠の戰事など堀村記に見ゆ。傳說に據れに、此の氏は宇都宮彌三郞の後裔と云ひ、萩坂に宇都宮神社ありて一村の鎭守たり。又神社の附近に能登守通貞の居舘の地も存し、大村家記に宮村能登通定に作る。士系錄には「宮村(澤勢)。藤姓、宇都宮彌三郞後胤·通定……

姓氏家系大辞典 第6巻 148コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

宮村に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

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