岩橋
いわはしIwahashi
全国1212位 ・ 約1.4万人
岩橋(いわはし)は、紀伊・下総などに岩橋邑があり、この氏はこれらの地名を負っている。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- いわはし
- ローマ字
- Iwahashi
- 全国順位
- 全国1212位
- 推計人数
- 約1.4万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.012%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
岩橋をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Iwahashi読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 紀伊国(和歌山県)
- 下総国(千葉県・茨城県)
- 大和国(奈良県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
岩橋(いわはし)は、紀伊(和歌山県)・下総(千葉県・茨城県)などに岩橋邑があり、この氏はこれらの地名を負っている。 【1】秦姓 ― 紀伊国名草郡岩橋荘から起こる。伊太祁曽神社の大禰宜にこの氏がある。「続風土記」の岩橋村岩橋吉良右衛門の条に「その祖は湯橋新大夫秦の宿禰という。承安・建久の文書に現れる。その先祖は高橋大神が鎮座した時から宮司として、代々湯橋の荘を領知した。文治六年四月十九日に湯橋荘を島居禅尼へ賜ったが、湯橋氏は旧来のとおり地頭職であった」とある。 元弘・建武の頃になって、荘司の行有という者が、栗栖の領主・六郎実行の娘を娶って新大夫里永を生んだ。これより先、行有の妹が大和国(奈良県)の吉良左衛門佐義明に嫁いで、吉良介里明を生んだ。 (義明は吉良治部大輔満貞の子である。満貞の父・左京大夫満義は北朝に属したので、満貞も初めは足利直義に属したが、後に新田氏に与した。「太平記」の南朝の軍に「吉良石堂」とあるのがこれである。後にまた足利家に属したが、義明は志を堅くして南朝に仕えた。○国造家の古記に岩橋小次郎、岩橋吉良介という者があるという。) 里明は南朝に忠勤があった。南北朝の御和睦の時にこの家に来て、ついに里永の養子となった。その姓・吉良を名に用いて、湯橋吉良太夫源里明と号した。 応永元年、将軍義満公は当荘を石清水へ寄付した。よって石清水から八幡伊織介実重を当荘の代官とした。里明は石清水八幡社務の娘を娶り、当社の総神主として伊織介と同じく荘中の事を支配した。 「土姓旧事記」にいう、応永の頃、里明という者が岩橋の荘に来た。社司職・公文所を受け継ぎ、根来寺感徳院を兼職した。里明の子を吉良大夫守明という。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
岩橋イハハシ紀伊、下總等に岩橋邑あリ、此の氏は此等の地名を負ふ。 1秦姓紀伊國名草郡岩橋莊より起る。伊太郡曾神社の大課宜に此の氏あり。續風土記岩橋村岩橋吉良右衞門條に「其祖は湯橋新大夫秦の宿禰といふ。承安建久の文書にあらはる。其先高橋大神鎭座の時より宮司として、代々湯橋の莊を領知す。文治六年四月十九日湯橋莊を島居禪尼へ賜ふといへども、湯橋氏舊に仍て地頭職たり。元弘建武の頃に至て莊司行有といふもの、栗栖領主六郞實行の女を娶りて新大夫里永を生む。是より先行有の妹大和國吉良左衞門佐義明に嫁して、吉良介里明を生む。(義明は吉良治部大輔滿貞の子なり。満貞の父左京大夫滿義は北朝に屬せしかば、満貞も初は足利直義に屬せしが後新田氏に與す。太平記南朝の軍に吉良石堂とある是なり。後又足利家に屬す、義明は志を堅くし南朝に仕ふ。○國造家の古記に岩橋小次郞、岩橋吉良介といふあり。)里明·南朝に忠勤あり。南北朝御和睦の時此家に來つて、遂に里永の養子となる。其姓吉良を名に用ひて、湯橋吉良太夫源里明と號す。應永元年將軍義満公當莊を石〓水へ寄附す。依つて石〓水より八幡伊織介實重を當莊の代官とす。里明石清水八幡社務の女を要り、當社の總神主として伊織介と同じく莊中の事を支配す。土姓舊事記に曰く、應永の頃里明といふもの岩橋の莊に來る。社司職公文所を受けつぎ、根來寺感德院を兼職す。里明の子を吉良大夫守明といふ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
岩橋に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「岩」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が岩橋の前後にある名字です。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →
