駒井
こまいKomai
全国1208位 ・ 約1.4万人
駒井(こまい)は、甲斐・武蔵・近江などにこの地名がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- こまい
- ローマ字
- Komai
- 全国順位
- 全国1208位
- 推計人数
- 約1.4万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.012%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
駒井をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Komai読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「駒井」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
『姓氏家系大辞典』第3巻 56コマに「家紋制萎、れた花菱、重井桁」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 甲斐国(山梨県)
- 武蔵国(東京都・埼玉県)
- 近江国(滋賀県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
駒井(こまい)は、甲斐(山梨県)・武蔵(東京都・埼玉県)・近江(滋賀県)などにこの地名がある。それらの地名を負ったものである。 【1】清和源氏武田氏流 ― 巨摩郡逸見筋の駒井から起こる。「武田系図」に「小五郎信政の子・四郎信村(一に五郎信盛)、駒井の祖」と見える。……(中略)家紋は花菱、重井桁など(この一節は原文が崩れている)。 月性院は○○の城にいると聞き、数日攻めたが、城は堅固で降伏しなかった。そこへ勢田の山岡氏が味方に加わり、叡山の先手をしようとしたので、信長公は金が森に向城を構え、佐久間氏に守らせて、叡山に攻め上った。叡山は思いのほか崩れたので、月性院は降人として出たが、信長公の怒りは解けず、その場で殺害された、という。 その子・猪之助直方は、甲州に移って武田信玄を頼って仕えた。信玄が遠江(静岡県)・三河両国へ出陣し、家康公と合戦するたびに駒井猪之助と名乗って甲斐甲斐しく働いたことを家康公から評価され、勝頼滅亡の後、猪之助のことを尋ねられて出仕し、知行五百石を下された。 秀吉公の天下となり、家康公が上洛の御供をした際、近江国で「そなたの古城の駒井はどこか」と尋ねられ、その場所を指して申し上げたところ、「今度、秀吉から近江国で知行を賜るならば、この郡をそなたに預けよう」とありがたい上意があり、実際に近江国で十万石を進められたうちの九万石を猪之助に預けられ、駒井の辺りの三宅に住んだ、という。また秀篤は織田信孝に仕えた。家紋は○、上り藤である。 【3】藤原氏 ― これも近江の駒井であり、駒井但馬守の家中で信為は積翠寺城代であったという。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
駒井コマキ甲斐、武蔵、近江等に此の地名あり。それ等の地名を負ひし也。 1〓和源氏武田氏流巨摩郡逸見筋駒井より起る。武田系圖に「小五郞信政の子四郞信村(一に五郞信盛)、駒井祖」と見えたり。……家紋制萎、れた花菱、重井桁。性院·集の城にありと聞こしめし、數日攻め玉へども、城中堅固にして服せず。然る處に、勢田の山岡身方に參り、叡山の先手をせんとありしゆへ、信長公金が森に向城構へ、佐久間氏を以つて守らせ、叡山に登リ玉へり。叡山思ひの外に崩れしゆへ、月性院·降人に出でけれども、信長公の怒解せず、卽座に害し玉へリ、」と。その子猪之助直方は「甲州に越して、武田信玄を頼み仕へけり。信玄·遠三兩州へ出張し、家康公と合戰の度ごとに、駒井猪之助と名乘リ、甲斐〓〓しく働きせしを、家康公より御覺え成され、勝賴滅亡の後、猪之助の事を御尋に付罷り出で、知行五百石を下されけり。秀吉公の天下となり、家康公御上洛の御供仕りしに、江州にて汝が古城駒井は何處ぞと、御尋に付き、則ち所を指し申上候へば、若し此度、秀吉·江州にて知行玉はりなば、此の郡を汝に預けんと、忝き上意たりしが、果して江州にて十萬石進められ候を、九萬石豬之助に御預け成され、駒井の邊三宅に住居す、」など見ゆ。又秀篤は織田信孝に仕ふ。家紋ほ萎、上り藤なり。 3藤原氏これも近江の駒井にて、駒井駒井但馬守内.信爲は積翠寺城代たりしと。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
駒井と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
駒井に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「駒」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が駒井の前後にある名字です。
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