谷山
たにやまTaniyama
全国1209位 ・ 約1.4万人
谷山(たにやま)は、薩摩に谷山郡谷山、また羽前などにこの地名がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- たにやま
- ローマ字
- Taniyama
- 全国順位
- 全国1209位
- 推計人数
- 約1.4万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.012%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
谷山をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Taniyama読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「谷山」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
『姓氏家系大辞典』第4巻 95コマに「家紋七曜、九曜、丸に一文字」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 薩摩国(鹿児島県)
- 羽前国(山形県)
- 大隅国(鹿児島県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
谷山(たにやま)は、薩摩(鹿児島県)に谷山郡谷山、また羽前(山形県)などにこの地名がある。 【1】桓武平氏 ― 「建久図田帳」に「谷山郡二百町のうち、府領十八町、公領百八十二町」と見える地の豪族であり、島津文書の内裏大番人交名に益山太郎があるが、谷山の誤りかという。子孫は南北朝の頃、王事に尽くした。 島津文書、建武四年四月二十六日の尊氏花押文書に「薩摩国内、従大隅助三郎、谷山五郎、鮫島庄次郎入道、以下の者らを誅伐すること云々」とあり、また観応二年に「島津貞久が兵を発して谷山郡司・平忠高を討つ」とある。谷山右馬助のことかという。また観応中、貞久は谷山郡司・谷山忠高・その弟祐玄と戦った(この先の一文は別の見出し「谷本(やもと)」の記事が紛れ込んでいるとみられ、判読できない)。 また暦応二年、谷山隆信(阿多)、鮫島家藤らが、島津方の碇山城を攻めたことがある。「太平記」巻三十三には、谷山右馬助(一字不明)、菊池氏と共に征西将軍を奉じて賊軍を討伐したとある。また阿蘇文書に谷山御所の名が見え、親王が谷山城に御座したことによる。 その居城・谿山郡本城(谷山、福本村)は千々輪が城ともいう。そして弓場城・陣の尾は本城の牙城であるという。また「地理纂考」に「牛落、今は俗に牛懸灘という、谷山祐玄陣営の跡である」と見える。 下って永禄の頃、島津義弘の家臣に谷山氏があり、天正の頃、桂思昉配下の将に谷山紀伊があった。 (このあと原文は次の見出し「谷守(やもり)」の記事に移る)谷守は備前(岡山県)に存する。和名の田沼邑から起こる。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
谷山タニヤマ薩摩に谷山郡谷山、又羽前等に此の地名あり。 1桓武平氏建久圖田帳に「谷山郡二百町内、府領十八町、公領百八十二町」と見ゆる地の豪族にして、島津文書、内裏大番人交名に益山太郞あり、谷山の誤りかと云ふ。子孫南北朝の頃、王事に盡す。島津文書、建武四年四月廿六日尊氏花押文書に「薩摩國內從大隅助三郞、谷山五郎鮫島庄次郞入道、以下の輩誅伐の事云々」と又觀應二年、「島津貞久·兵を發して谷山郡司平忠高を討つ」と。谷山右馬助の事かと云ふ。又觀應中、貞久·谷山郡司谷山忠高·同第祐玄と戰ふ。此らず、和泉右衞門兵衞尉忠直、貞久を救備前に在りと。ヤモト武蔵、陸前等に志摩にありと。又曆應二年、谷山隆信(阿多)、鮫島家藤等、島津方の碇山城を攻むる事あり。太平記には卷三十三に、谷山右馬助を教せ、菊池氏と共に、征西將軍を奉じて、賊軍を討伐すと。又阿蘇文書に谷山御所の名見ゆ、親王·谷山城に御座せしに因る。その居城谿山郡本城(谷山、福本村)は、千々輪が城とも云ふ。而して弓場城、陣の尾は本城の牙城なりと。又地理纂考に「牛落·今俗牛懸灘といふ、谷山祐玄陣營の跡なり」と見ゆ。下りて永祿の頃、島津義弘家臣に谷山氏、天正の頃、桂思昉配下の將に谷山紀伊あヤモリ備前に存す。和名田沼邑より起る。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
谷山に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「谷」の字を含む名字
「谷山」で始まる・谷山を含む名字
谷山の字をそのまま含む、より長い名字です。
同じくらいの多さの名字
全国順位が谷山の前後にある名字です。
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