大部

おおべOobe

全国4080位 ・ 約2,890人

大部(おおとも・おおべ)は、部は伴と同じで、これによって大伴はまた大部とも書かれる。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
おおべ
ローマ字
Oobe
全国順位
全国4080位
推計人数
約2,890人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

大部をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Oobe読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 武蔵国(東京都・埼玉県)
  • 近江国(滋賀県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

大部(おおとも・おおべ)は、部は伴と同じで、これによって大伴はまた大部とも書かれる。ただし「おおべ」と読むものはその項を見よ。 【1】大部連 ― 「三代実録」「日本霊異記」などで、大伴連を大部連に作るものが多い。 【2】大部直(武蔵(東京都・埼玉県)) ― 大伴部直、大伴直と同じで、武蔵国造の一族である。神護景雲元年十二月の紀に「武蔵国足立郡の人、外従五位下・大部直不破麻呂ら六人に武蔵宿禰を賜う」と見える。この武蔵宿禰が武蔵国造家であることは「武蔵」の項で述べる。なお天平宝字八年十月の紀にも大部直不破麻呂を載せている。 この大部直は、大伴部の項で述べるように、景行天皇の御代、東方諸国の国造に命じてその子弟を献らせ、膳大伴部としたのに始まる。このとき武蔵から膳大伴部となった人の名は詳らかでないが、「西角井系図」によれば、国造・宇那毘足尾の子「八背直は、応神天皇の御代、膳大伴部となって供奉し、それゆえ膳大部直を負う」と見える。八背直の後裔は次の通りである。……(中略) これより前、すなわち上古の末においても、この氏はこの郡の大豪族であった。 (このあとの原文は、書き出しが崩れて読み取れないまま、近江(滋賀県)の大友村主についての文に移っている)……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない)天平の○(この一字は原文が崩れている)郡計帳に大友村主宿奈尼売とあり、神護景雲元年五月の紀に「近江国人、外正七位上・大友村主人主が、稲一万束、墾田十町を西大寺に献じ、うんぬん、外従五位下を授かる」とある。 また延暦六年七月の紀に「右京の人、正六位上・大友村主広道が本姓を改めて志賀忌寸と改めた」とあり、また承和四年十二月の紀に「近江国人、太政官史生・大友村主弟継らが、姓を蕃良宿禰(一本には春良宿禰に作る)と賜った。常継の先祖は後漢献帝の末裔である」などと見える。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

大部オホトモオホベ部は伴に同じ、よりて大伴は又大部ともあり。但しオホベと讀むものは其の條を見よ。 1大部連三代實錄、日本靈異記等大伴連を大部連に作るもの多し。 2大部直(武藏)大伴部直、大伴直に同じる武藏國造族なり。神護景雲元年十二月紀に「武藏國足立郡人外從五位下大部直不破麻呂等六人、武藏宿禰を賜ふ、」と見ゆ。此の武藏宿禰は武議國造家なる事、武藏條にて云ふべし。なほ天平實字八年十月紀にも大部直不破麻呂を載せたり。此の大部直は大伴部第四十六項に述ぶるが如く、景行朝、東方諸國の國造に命じ、その子弟を獻らしめ、膳大伴部となしたるに始まる。此の時當武藏より膳大伴部となりたる人名は詳かならざれど、西角井系圖に據れば、國造字那毘足尾の子「八背直、應神天皇の御宇、膳大伴部となりて供奉、故に膳大部直を負ふ」と見えたリ。八肯直の後裔は左の如し。……されど、これより前、卽ち上古末に於いても、此の氏は此の郡の大豪族た天平志何郡計帳·大友村主宿奈尼賣、神護最雲元年五月紀に「近江國人外正七位上大友村主人主、稻一萬東、墾田十町を西大寺に獻ず、云々、外從五位下を授く、」と。また延曆六年七月紀に「右京人正六位上大友村主廣道、本姓を改めて、志賀忌寸と改む」と。また承和四年十二月紀に「近江國人太政官史生大友村主弟繼等、姓を蕃(一本作春)良宿禰と賜ふ。常繼の先は後漢獻帝苗裔也」など見ゆ。

姓氏家系大辞典 第2巻 47コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

大部と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

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同じくらいの多さの名字

全国順位が大部の前後にある名字です。

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