皆木

みなぎMinagi

全国4075位 ・ 約2,890人

皆木(みなき)は、【1】菅家党 ― 美作国の豪族で、勝北郡皆木邑から起こる。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
みなぎ
ローマ字
Minagi
全国順位
全国4075位
推計人数
約2,890人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

皆木をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Minagi読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 美作国(岡山県)
  • 近江国(滋賀県)
  • 伊豆国(静岡県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

皆木(みなき)は、【1】菅家党 ― 美作国(岡山県)の豪族で、勝北郡皆木邑から起こる。菅家党の一つで、三穂太郎満佐の後裔と称する。「有元系図」に「有元忠綱の二男・皆木三河守保綱」と載せ、「菅家氏分録」によれば「有元忠勝の子・資額の二男・保○(この一字は原文が崩れている)より出る」というが、「皆木氏略系」によれば有元氏とは系統を異にするようである。 「皆木氏略系」には次のようにある。「菅原道真公(右大臣)を天満大自在天神として祀る。右大弁高視(江州(滋賀県)に住み、皆吉・皆木・皆川の祖)。菅神の嫡孫、正三位式部卿高長より十八代の秀○(この一字は原文が崩れている)は従四位上、前伊豆守、江州大守であったが、近衛院の勘気を蒙って作州に流され、後に保師と改めた。保元・平治のころ美作へ左遷され、これが美作菅家の元祖である。 北の方は大納言祐方○(この一字は原文が崩れている)の女で、乾の前という。その後、秀滋を慕って下ってきた菖蒲の前という婦人を、乾の前が嫉妬して攻め殺したので、子孫の式部少輔遠保がこれを供養しようとして一切経を埋めた。その所は今、隣村の○原村(原文の村名は崩れて読み取れない)にあり、経尾と呼ぶ。またその霊を祀って一つの社に二つの神を祀るという。秀滋は後に保師と改め、その霊を祀って保師大明神といい、長保の森の中に社がある。 保綱の太郎は、渋谷土佐の推挙によって頼朝に召し出され、江州において一万石の地を領した。後に没収され、作州豊田荘を切り取って加賀尾の城主となり、豊田太郎と号した。長丸の次郎、保義の三男以上、兄弟三人が作州勝田郡五ヶ荘を切り取り、作州の菅家はここから分かれたという。保綱の子孫・皆木左京進是政は、○原村加賀尾の城主であった。後醍醐天皇より青狩衣に二重亀甲の紋、ならびに御製を賜った。」

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

皆木ミナキ1菅家黨美作國の豪族にして、勝北郡皆木邑より起る。菅家黨の一にして、三穂太郞滿佐の裔と稱す。有元系圖に「有元忠綱二男皆木三河守保綱」と載せ、菅家氏分錄に據れば「有元忠勝の子資額の二男保刷より出づ」と云へど、皆木氏略系に據れば、有元氏とは俺を異にするが名如し。卽ち皆木氏略系に「菅原道眞公(右大臣)〓置天滿大自在天神。右大辨高視(江州に居る、皆吉、皆木、皆川の祖)。菅神嫡孫正三位式部卿高長十八代秀遊·從四位上、前伊豆守、江州大守、近衛院の救勘を蒙りて、作州に流され、後に保師に改む。保元平治の頃、美作へ左遷、是れ美作菅家の元祖なり。北の方は大納言祐方〓の女、乾の前と云ふ。其の後、秀滋を墓ひて下りし菖蒲の前と云ふ婦人を、乾の前·嫉妬にて攻め殺したるを、子孫式部少輔遠保·萬當供養し、一切經を埋めし處、今隣村四原村に在て經尾と字す。亦其の靈神を祭つて一つ社の二つ神と云ふ。秀滋後に保師と改む、其の靈を祀りて保師大明神と云ふ、長保の森の中に社あり。保網·太郞、澁谷土佐が推擧を以つて、賴朝に召し出され、江州に於いて一萬石の地を領す、後沒收せられて作州豐田庄を切取り、加賀尾の城主となり、豐田大郞と號す。長丸·次郞。保義·三以上兄弟三人、作州勝田郡五ヶ庄を切取り、作州の管家是より分るといふ。保皆木左京進是政,四原村加賀尾の城主たり。後醍關帝より靑狩衣に二重亀甲の紋、並に御製を給ふ。

姓氏家系大辞典 第6巻 91コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

皆木と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

皆木に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が皆木の前後にある名字です。

存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →