鈴木

すずきSuzuki

全国2位 ・ 約177万人

鈴木(すずき)は、日本有数の大姓で、一族の多さは他に比べるものがないといわれる。

4件の公開家系図に 8人

基本情報

読み
すずき
ローマ字
Suzuki
全国順位
全国2位
推計人数
約177万人
全国比率
日本人のおよそ1.4%
県内ベスト5
静岡県(1位)、茨城県(1位)、千葉県(1位)、愛知県(1位)、栃木県(1位)
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

多い都道府県

「鈴木」が県内ベスト5に入っている都道府県です。色の濃さは県内の占率を表します(ベスト5に入らない県は、数字が公表されていないため無色です)。

北海道青森岩手宮城秋田山形福島茨城栃木群馬埼玉千葉東京神奈川新潟富山石川福井山梨長野岐阜静岡愛知三重滋賀京都大阪兵庫奈良和歌山鳥取島根岡山広島山口徳島香川愛媛高知福岡佐賀長崎熊本大分宮崎鹿児島沖縄
  • 〜1%
  • 1〜1.5%
  • 1.5〜2%
  • 2〜3%
  • 3%〜
  • データなし
県ごとの数字を見る
都道府県県内順位占率
静岡県1位4.8%
茨城県1位2.56%
千葉県1位2.35%
愛知県1位2.32%
栃木県1位2.14%
神奈川県1位2.03%
埼玉県1位1.8%
東京都1位1.74%
福島県2位4.18%
山形県2位3.51%
宮城県3位2.86%
北海道4位1.21%
秋田県5位2%
新潟県5位1.25%
都道府県別データについて

都道府県別の順位・占率は、明治安田生命「全国同姓調査」(2018年8月8日発表、同社の契約者約655万人が母集団)で公表されたベスト5です。国勢調査ではないため、実際の県内人数の順位とは異なることがあります。 調査結果(PDF)を見る →

ローマ字で書くと

鈴木をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Suzuki読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 紀伊国(和歌山県)発祥地

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

鈴木(すずき)は、日本有数の大姓で、一族の多さは他に比べるものがないといわれる。一つには優れた人物を多く出したからだが、これほど全国に広がったのは、発祥地がほぼ紀州(和歌山県)熊野であり、熊野の神が朝廷にも民間にも信仰を集めて各地に勧請された際、それに従って各地へ移り、勢力を伸ばしたためだと考えられる。「クマノ」「エノモト」「ウヰ」などの項、および直前の数項もあわせて参照。 【1】穂積姓 ― 紀州熊野の豪族である。伝説によれば「孝昭天皇五十三年、化人があった。岩基隈の北、新の御山において十二所権現をまつった。これを新宮という。神が現れたはじめ、権現は龍崎に乗って千尾の峰に降臨した。奉帯の司が氏人を召したとき、漢の司符将軍の嫡子・真俊が進み出て、権現を新宮の鶴原明神の前、十二本の榎の木のもとに勧請した。これによって榎本の氏を賜り、二男の基成は諸子とともに餬餅を進めたので丸子の氏を賜り、三男の基行は御林として稲を進めたので穂積の氏を賜った」という。鈴木氏はこの基行の子孫だとされる。 この伝説は荒唐無稽で容易には信じられないが、この三氏が熊野に勢力を持っていたのは事実で、榎本党・宇井党(丸子氏)・鈴木党の名は諸書に見える。『平家物語』巻四に「新宮には鳥居法眼云々、侍には、うい、すゝき、水屋、亀甲」とあり、『源平盛衰記』にも「ここにウイ・ススキ党と申すのは、権現が摩伽陀国から我が国へ飛び渡られたとき、左右の翼となって渡ったものなので、熊野を思いのままに支配している」とある。「ウヰ」「ヱノモト」「クマノ」などの項も参照。 この熊野新宮の三党のうち、榎本は大伴氏族であり、宇井の本姓である丸子にもいくつかの流れがあるが、これも大伴流とするものが古書に見える。三氏を同族とするなら、いずれも大伴氏族と見るのが穏当だと著者は考える(「○モト」「ウヰ」「ワニコ」の項を参照)。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

鈴木スズキ天下の大姓にして、族類の多き事、他に其の比を見ずと稱せらる。これ一は名士を輩出せしに據るも、斯く天下に蔓りしは、その發祥地は殆んど紀州熊野にと、熊野神が朝野の崇敬を集め、至る所に勸請さるゝに際し、隨從して各地に移り、勢力を振ひしに據ると考へらる。クマノ、エノモト、ウヰ等の條を參照せよ。又前數條と通ず併せ見よ。 1穗積姓紀州熊野の豪族なり。傳說によれば「孝昭天皇五十三年、化人あり。岩基隈の北、新の御山において、十二所權現を崇めたてまつる。これを新宮と號す。垂跡の初め、權現·龍崎に乘じて、千尾の峰に降臨す。奉帶の司、氏人をめさる。ときに漢の司符將軍の嫡子眞俊·すゝみ出で、權現を新宮鶴原明神の前、十二本の榎木の本に勸請したてまつる。これによりて榎本の氏を賜はり、二男基成は、諸子並に餬餅を進む、よりて丸子の氏を賜はる。三男基行は、御林として稻を進む、これによりて種積の氏を賜はる。鈴木氏は此の基行の後裔なりと云ふ。荒謬容易に信ずべからずと雖、此の三氏が熊野に勢力ありしは事實にして、榎本黨、字井黨(丸子氏)、鈴木黨の名は諸書に見ゆ。平家物語卷四に(新宮には鳥居法眼云々、侍には、うい、すゝき、水屋、亀甲」と。また源平盛衰記に「爰にウイ、ススキ黨と申すは、權現·摩伽陀國より、我が朝へ飛び渡り給ひし時、左右の翔と爲りて、わたりしものなるによりて、熊野をば吾が儘に管領す」と。ウヰ、ヱノモト、クマノ等の條を參照せよ。此の熊野新宮三黨中、榎本は大伴氏族にして、字井の本姓·丸子には、數流あれどこれも亦·大伴流なるもの、古書に見ゆれば、此の三氏を同族とすれば、皆大友氏族とするを穩當なりと私考す(十)モト、ウヰ、ワニコ條參照)。

姓氏家系大辞典 第3巻 398コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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