佐土原
さどわらSadowara
全国5928位 ・ 約1,660人
佐土原(さどはら)は、日向国那珂郡(宮崎郡)佐土原から起こる。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- さどわら
- ローマ字
- Sadowara
- 全国順位
- 全国5928位
- 推計人数
- 約1,660人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
佐土原をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Sadowara読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 日向国(宮崎県)
- 讃岐国(香川県)
- 伊予国(愛媛県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
佐土原(さどはら)は、日向国(宮崎県)那珂郡(宮崎郡)佐土原から起こる。 【1】藤原南家伊東氏流 ― 「日向記」に「結立に、御子が数多くあった。嫡子の三郎祐武は父に先立って卒した。二男の讃岐守祐賀は、後に田島家を相続し、佐土原殿の元祖である。三男の利部左衛門祐為は云々。四男は伊予守祐幸、五男は左衛門尉祐友、六男は興禅寺存忠、七男は東興庵、八女は八代で主税助の御前、九女は右松和泉守の御前」とあり、 また「分国中の城主揃えのこと。佐土原は三位入道殿の御居城。御隠居の後、在城は佐土原摂津守」と見え、また佐土原衆に佐土原八郎兵衛尉、綾城主に佐土原遠江守などがある。また徳川時代、伊東藩の用人に見える。 【2】大友氏流 ― 「大友系図」に「親秀の子頼宗(野津五郎、庶流佐土原)」と見え、浅羽本に「頼宗、佐土原」とある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
佐土原サドハラ日向國邦珂郡(宮崎郡)佐土原より起る。 1藤原南家伊東氏流日向記に「結立に、御子餘多有り。嫡子三郞祐武·父に先立つて卒し玉ひぬ。二男讃岐守祐賀、後に田島家を相續す、佐土原殿の元祖也。三男利部左衞門祐爲に云々。四男伊豫守祐幸、五男左衞門尉祐友、六男興禪寺存忠、七男東興庵、八女八代は主稅助の御前、九女は右松和泉守の御前」と載せ、又「分國中ノ城主揃の事。佐土原·三位入道殿の御居城。御隱居の後、在城は佐土原攝津守」と見え、又佐土原衆に佐土原八郞兵衞尉、綾城主に佐土原遠江守等あり。又德川時代·伊東藩の用人に見ゆ。 2大友氏流大友系圖に「親秀の子賴宗(野津五郞、庶流佐渡原)」と見え、淺羽本に「賴宗、佐土原」とあり。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
佐土原に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「佐」の字を含む名字
「土」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が佐土原の前後にある名字です。
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