黒石
くろいしKuroishi
全国2743位 ・ 約4,970人
黒石(くろいし・くろいわ)は、岩代・陸中・陸奥などにこの地名がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- くろいし
- ローマ字
- Kuroishi
- 全国順位
- 全国2743位
- 推計人数
- 約4,970人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
黒石をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Kuroishi読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 岩代国(福島県)
- 陸中国(岩手県・秋田県)
- 陸奥国(東北地方)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
黒石(くろいし・くろいわ)は、岩代(福島県)・陸中(岩手県・秋田県)・陸奥(東北地方)などにこの地名がある。……(中略) 【1】陸中の黒石氏 ― 江刺郡の黒石邑より起こる。貞和の頃、黒石越後守があり、黒石正法寺を造営した。当地方の領主であった。 【2】陸奥の黒石氏 ― 津軽郡の黒石邑より起こる。 【3】雑載 ― 甲州(山梨県)「妙法寺記」に「大永五年七月○(原文が崩れている)、黒石入道打死」とあり、また徳川時代、伊予小松一柳藩の用人にこの氏が見え、また香宗我部家臣に「黒石甚左衛門」がある。信濃(長野県)などにも存する。 (このあと原文は次の見出し「黒出」「黒板」の記事に移る) 黒出(くろいで・くろて)は、「津軽年代記」に見える。 黒板(くろいた)は、関家記録に「伯州(鳥取県)黒板云々」とある。関係があるか。黒板勝美博士は肥前大村の旧藩士で、その氏を名乗る人は長崎を合わせて四軒ほどある。その系図には「姓は藤原、本国丹波、故あって九州に下る」と載せ、士系録には「黒板○信(この一字は原文が崩れている)(黒板越中、初めて江串村に住す)」と見える。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
黑石クロイシクロイハ岩代、陸中、陸奥等に此の地名あり。……1陸中の黑石氏江刺郡の黑石邑よリ起る。貞和の頃、黑石越後守あり、黑石正法寺を造營す、當地方の領主たりしなり。 2陸奥の黑石氏津輕郡の黑石邑より起る。 3雜載甲州妙法寺記に「大永五年七月暉.黑石入道打死」と0又德川時代、伊豫小松一柳藩用人に此の氏見え、又香宗我部家臣に「黑石甚左衞門、」信濃等にも存す。黒出クロイテクロテ津輕年代記に見ゆる黑板クロイタ関家記錄に「伯州黑板云々」と。関係あるか。黑板勝美博士は肥前大村の舊藩士、その氏を名乘る人は長崎を合して四軒程、其の系圖には「姓は藤原、本國丹波、故ありて九州に降る」と載せ、士系錄には「黑板牌信(黒板越中、始めて江串村に住す)」と見ゆ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
黒石に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「黒」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が黒石の前後にある名字です。
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