石垣
いしがきIshigaki
全国661位 ・ 約2.9万人
石垣(いしがき)は、紀伊国有田郡の石垣から起こった。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- いしがき
- ローマ字
- Ishigaki
- 全国順位
- 全国661位
- 推計人数
- 約2.9万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.024%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
石垣をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Ishigaki読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 紀伊国(和歌山県)
- 越後国(新潟県)
- 筑後国(福岡県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
石垣(いしがき)は、紀伊国(和歌山県)有田郡の石垣から起こった。なお越後(新潟県)・筑後(福岡県)などにも石垣の地名がある。 【1】熊野部の裔 ― 石垣氏は熊野部千代包(千代定)の子孫という。『紀伊続風土記』に「石垣の姓の起こった由緒は詳らかでない。明応元年の神宝記に石垣在庁宮主員包、永享五年の口宣案に石垣昌包(宜任式部大夫)などと石垣の姓名が書に現れる。これは皆、神官である」とある。……(中略) また三方社中の条に「その時、社家は三つに分かれて衆徒・神官・社僧と号し、これを総じて三方社中と称する。神官の職は毎日一人ずつ神前の庁に出仕して結番があり、一番から十二番まで順に結番する。文亀二年の文書に神官の名目を載せて『鮒田一大夫高政、石垣二大夫行包、云々、五番頭・石垣継包、云々』とあるのが番頭である。十二番頭のほかに在庁と称する者が一人ある。正応の文書に石垣在庁重包、明徳の文書に石垣在庁宮主貞包などとあるのがこれである」とある。 また衆徒七人として石垣主税・石垣雅楽・石垣勘解由・石垣外記、また社僧十五人の内に石垣事勝坊などを載せ、また牟婁郡佐野荘の条に、石垣氏は代々この地の下司職であったというと見える。 【2】清和源氏畠山氏流 ― 同じく紀伊の名族で、守護であった畠山の一族である。……(中略) 『続風土記』有田郡中井原村の島屋城趾の条に「村の東にある。天授五年、山名義理らがこの城を陥れた。後に畠山氏の持城となり、畠山尾張守義深の二男・石垣伊予守深秋、その子・左近将監満慶、同じく左京大夫持秋、同じく伊予守○重らが居城した。明応年中、畠山政長の二男・畠山左衛門佐尚長がこの城に来て住んだ。天文年中、畠山尾張守政国、同じく刑部大輔景友、同じく民部少輔景春、石垣伊予守深国らが居城したが、天正年中に豊太閤のために落城した」とある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
石垣イシガキ紀伊國有田郡石垣より起30猶ほ越後、筑後等にも石垣の地名あり。 1熊野部裔石垣氏は熊野部千代包(千代定)の後と云ふ。紀伊續風土記に、石垣の姓の起れる由緒詳ならず。明應元年神寶記に石垣在廳宮主員包、永享五年口宣案に石垣昌包(宜任式部大夫)等、石垣の姓名書に見はる、是皆神官なり。……又三方社中條に굶時社家三に分れて、衆徒、神官、社儈と號し、是を總て三方社中と稱す。神官の職は毎日一人宛神前の廳に出仕して結番あり、一番より十二番まで次第に結番す。文亀二年の文書に神官の名目を載せて、鮒田一大夫高政、石垣二大夫行包、云々、五番頭石垣繼包、云々、番頭是なり。十二番頭の外に在廳と稱するもの一人あり。正應の文書に、石垣在廳重包、明德の文書に石垣在廳宮主貞包などある是なり」と。又衆徒七人、石垣主稅、石垣雅樂、石垣勘解由、石垣外記、又社僧十五人內に石垣事勝坊等を載せ、又牟婁郡佐野莊條に石垣氏代々此地の下司職なりしといふと見ゆ。 2〓和源氏畠山氏流同じく紀伊の名族にして守護たりし畠山の族なり。……續風土記有田郡中井原村島屋城趾條に、「村の東にあり、天授五年山名義理等當城を陷る、後畠山氏の持城となり、畠山尾張守義深の二男石垣伊豫守深秋、其子左近將監滿慶、同左京大夫持秋、同伊豫守〓重等居城す。明應年中畠山政長の二男畠山左衞門佐尙長、當城に來り住す、天文年中畠山尾張守政國、同刑部太輔景友、同民部少輔景春、石垣伊豫守深國等居城せしに、天正年中豊太閤の爲に落城す」とあり。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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