寺坂
てらさかTerasaka
全国2128位 ・ 約6,990人
寺坂(てらさか)は、 【1】藤原姓 ― 出自は詳らかでない。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- てらさか
- ローマ字
- Terasaka
- 全国順位
- 全国2128位
- 推計人数
- 約6,990人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
寺坂をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Terasaka読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 岩代国(福島県)
- 美作国(岡山県)
- 因幡国(鳥取県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
寺坂(てらさか)は、 【1】藤原姓 ― 出自は詳らかでない。 【2】岩代(福島県)の寺坂氏 ― 石橋家の家臣で、石橋家が滅亡した頃には寺坂三河守があり、忠臣として知られる。石橋・大内などの項を参照。……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない) 【3】美作(岡山県)の寺坂氏 ― 「東作志」勝北郡新野庄の条に「東村上分、寺坂屋敷。地は字可部にある。寺坂桃千代がここに住む。桃千代は草刈家の老臣で、後に字喜田家に残った。伝えていう、天正六年八月、草刈太郎左衛門重継の舎弟・与次郎が因州(鳥取県)淀山城から発し、後山中谷で働き、青野谷から飛ヶ谷表に出張し、新免伊賀守が竹山城から出てこれと戦った。寺坂桃千代、草刈又三郎は、新免方の白岩浪介に討たれた」とある。苦田郡阿波村に寺坂氏が存在する。 【4】赤穂義士に寺坂吉右衛門信行があり、姓は藤原と伝える。そのほか伊勢(三重県)・志摩(三重県)などにも存在するという。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
寺坂テラサカ1藤原姓出所詳かならず。 2岩代の寺坂氏石橋家の家臣にして、その減亡の頃には、寺坂三河守あり、忠臣として知らる。石橋、大内等の條參照橫テラオカテラカハ-テラサカ大3美作の寺坂氏東作志、勝北郡新野庄條に「東村上分、寺坂屋敷。地は字可部に在り。寺坂桃千代·是に住す。桃千代は草刈家の老臣なり、後字喜田家に殘す。傳に云ふ、天正六年八月、草刈太郞左衞門重繼が舍弟與次郞·因州淀山城より發し、後山中谷に働き、靑野谷より飛ケ谷表に出張、新免伊賀守·竹山城よリ出で、是と戰ふ。寺坂桃千代、草刈又三郞、新免方の白岩浪介に討たる」と。苦田郡阿波村に寺坂氏存す。 4赤穗義士に寺坂吉右衞門信行あり、姓藤原と傳ふ。その他、伊勢志摩等にも存すとぞ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
寺坂と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
寺坂に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「寺」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が寺坂の前後にある名字です。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →
