寺田
てらだTerada
全国225位 ・ 約9.8万人
寺田(てらた)は、山城・和泉・伊賀・常陸・美濃・陸中・羽前・薩摩などにこの地名がある。
2件の公開家系図に 6人
基本情報
- 読み
- てらだ
- ローマ字
- Terada
- 全国順位
- 全国225位
- 推計人数
- 約9.8万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.080%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
寺田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Terada読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「寺田」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
『姓氏家系大辞典』第4巻 244コマに「家紋丸に一文字、六葉の柏袴田、市野等の條」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 山城国(京都府)
- 和泉国(大阪府)
- 伊賀国(三重県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
寺田(てらた)は、山城(京都府)・和泉(大阪府)・伊賀(三重県)・常陸(茨城県)・美濃(岐阜県)・陸中(岩手県・秋田県)・羽前(山形県)・薩摩(鹿児島県)などにこの地名がある。 【1】藤原姓上妻氏族 ― 筑後上妻氏の一族で、上妻系図に「三郎左衛門尉家真(積島代官)―式部大輔家盛―源左衛門尉家治(寺田と号す)」と見える。薩摩国薩摩郡の寺田庄から起こったのだろうか。 【2】和泉の寺田氏 ― 和泉郡の寺田村から起こった。寺田又右衛門とその弟・安大夫(のちの松浦安大夫)は、ともに岸和田城主・松浦肥前守の旗下だった。のちに信長・秀吉の幕下にあって武名を挙げた。又右衛門は阿波(徳島県)の勝瑞で戦死し、安大夫は石田治部少輔に味方して子孫が絶えた。居城は池浦村にあり、子孫は現存する。「松浦」の項を参照。また河内国(大阪府)志紀郡の名族にもある。 【3】大和(奈良県)の寺田氏 ― 箸尾氏配下の将に寺田氏がある。また『安西軍策』に「寺田又右衛門(大和の住人)」を載せる。「筒井」の項も参照。 【4】服部氏族 ― 伊賀の名族である。…… 【5】藤原姓 ― 遠江(静岡県)の発祥だという。寺田右京進真宗という者が書物に見える。家紋は丸に一文字、六葉の柏。「袴田」「市野」などの項を参照。 ……(中略)【7】近江(滋賀県)の寺田氏 ― 『太平記』巻三十二に寺田八郎左衛門がある。 【8】雑載 ― 徳川時代には四条松平藩の重臣および用人、新発田溝口藩の用人、飯山本多藩の重臣などにある(『武鑑』)。また毛利元就の家臣に寺田六郎左衛門尉があり、その子の九郎左衛門は美作国(岡山県)○田郡山北邑の鶴山の麓に住んだ。その子を九兵衛という。また甲斐(山梨県)の名族にこの氏があり、下総小金の本土寺過去帳に寺田兵衛五郎、美濃(方県郡に寺田○があり、『季瓊日録』に見える)、石見(島根県)、播磨明石(寺田仁兵衛)などにも多いという。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
寺田テラタ山城、和泉、伊賀、常陸、美濃、陸中、羽前、薩摩等に此の地名存す。 1藤姓上妻氏族筑後上妻氏の族にして上妻系圖に「三郞左衞門尉家眞(積島代官)-式部大輔家盛-源左衞門尉家治(寺田と號す)」と見ゆ。薩摩國薩摩郡寺田庄より起りしか。 2和泉の寺田氏和泉郡の寺田村より起る〇寺田又右衞門、同弟安大夫(後松浦安大夫)は共に岸和田城主松浦肥前守の旗下也。後信長、秀吉の幕下に在りて武名を著はす。又右衞門は阿州勝瑞に於て戰死し、安大夫は石田治部少輔に黨し、子孫斷絕す。居城·池浦村にあり、後胤現存す。松浦條を見よ。又河內國志紀郡の名族にも存す。 3大和の寺田氏箸尾氏配下の將に寺田氏あり。又安四軍策に「寺田又右衞門(大和住人)」を載せたり。又筒井條參照。 4服部氏族伊賀の名族也。……5藤原姓遠江發祥なりと。寺田右京進眞宗なる者·物に見ゆ。家紋丸に一文字、六葉の柏袴田、市野等の條を見よ。……1近江の寺田氏大平記卷三十二に寺田八郞左衞門あり。 8雜載德川時代、四條松平藩重臣、及び用人、新發田溝口藩用人、飯山本多藩重臣等に存す(武鑑)。又毛利元就家臣に寺田六郞左衞門尉、その子九郞左衞門は、美作國苦田郡山北邑鶴山麓に住す。その子を九兵衞と云ふ。又甲斐の名族に此の氏存し、又下總小金本土寺過去帳に寺田兵衞五郞、美濃(方縣郡に寺田〓、季瓊日錄に見ゆ)、石見、播磨明石(寺田仁兵衞)等にも多しと。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ漢字を使う名字
寺田に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「寺」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が寺田の前後にある名字です。
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