大津留

おおつるOotsuru

全国7239位 ・ 約1,240人

大津留(おおつる)は、また大鶴とも見える。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
おおつる
ローマ字
Ootsuru
全国順位
全国7239位
推計人数
約1,240人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

大津留をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Ootsuru読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 豊前国(福岡県・大分県)
  • 越中国(富山県)
  • 筑後国(福岡県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

大津留(おおつる)は、また大鶴とも見える。豊後国(大分県)大分郡大津留から起こった豪族で、「図田帳」に「阿南庄など、未詳の一町、大津留次郎能氏」とある。のちに大友氏に属し、松ヶ尾に拠った。 「国志」に「松筒尾は大津留氏の故城である。天正の役に大津留鎮釜・橋爪某が大友義統に従って豊前竜王城におり、武富親実は臼杵城におり、三家の支族はともにこれによって、ついに全きを得た」とある。 「牛島文書」に大津留常陸介、「五条家天文二十年文書」にも大津留常陸介、また大津留越中守があり、久留米城代であったが、草野から攻められて切腹したという(小川氏筆記)。 「筑後国(福岡県)志」に「大津留氏は、本国は豊後で、中古筑前那珂郡鷺嶽城主・惟任日向守大神惟基の二男、阿南日向守惟高から四代の孫・大津留孫太郎義隆の末孫が、道雪に属したのちに立花氏に改めた。 その系図は次のとおりである。大津留相模守―同式部大輔鎮正……(引用はここで途切れている)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

大津留オホツルまた大鶴とも見ゆ。後國大分郡大津留より起りし豪族にして、圖田帳に「阿南庄云々、則未名一町、大津留次郞能氏」と。後大友氏に屬し、松箇尾に據る。國志に「松筒尾は大津留氏の故墟也、天正の役に大津留鎭釜、橋爪某と大友義統に從ふて、豐前龍王城に在り、武富親實白杵城に在り、故に三家の支旅倶に之に據り、遂に全きを得たり」と0牛島文書に大津留常陸介、五條家天文二十年文書にも大津留常陸介、又大津留越中守あり、久留米城代たりしが、草野より攻められて切腹すと(小川氏筆記)。筑後國志に「大津留氏、本國は豐後、中古筑前那珂郡鷺嶽城主、惟任日向守大神惟基の二男、阿南日向守惟高より四代の孫、大津留孫太郞義隆末孫、道雪に屬して後、立花氏に改む。其の系圖左の如し。大津留相摸守-同式部大輔鎭正……

姓氏家系大辞典 第2巻 42コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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大津留と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

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