津留

つるTsuru

全国3198位 ・ 約4,080人

津留(つる)は、筑後・豊後・肥後などにこの地名が存する。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
つる
ローマ字
Tsuru
全国順位
全国3198位
推計人数
約4,080人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

津留をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Tsuru読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 筑後国(福岡県)
  • 豊後国(大分県)
  • 肥後国(熊本県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

津留(つる)は、筑後(福岡県)・豊後(大分県)・肥後(熊本県)などにこの地名が存する。 【1】筑後の津留氏 ― 山門郡の津留村から起こる。田尻氏配下の将で、津留城は津留因幡守・田尻石見守らがこれを守ったという。また川瀬村西念寺に「寛永十六年云々、無礼村の住・津留兵部有忠」の位牌がある。 【2】日向(宮崎県)の津留氏 ― 「日向記」に「日州都於郡四天衆、山田・荒武・津留・木脇」と載せ、津留安房守・津留八郎など多く見える。 【3】豊後の津留氏 ― 当国の豪族で、おそらく前項と同族であろう。津留弾正光盛は尻高城に拠っていたが、永正の頃敗北して入道し、城跡に一寺を建てたという。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

津留ツル筑後、豐後、肥後等に此の地名存す。 1筑後の津留氏山門郡の津留村より起る。田尻氏配下の將にして、津留城は津留因幡守、田尻石見守等、これを守ると。又川瀨村西念寺に「寛永十六年云々、無禮村の住·津留兵部有忠」の位牌あり。 2日向の津留氏日向記に「日州都於郡四天衆山田、荒武、津留、木脇」と載せ、津留安房守、津留八郞等多く見ゆ。 3豐後の津留氏當國の豪族にして、恐らく前條と同族なるべし津留彈正光盛は尻高城に據りしが、水正の頃敗北して入道し、城跡に一寺を建つと。

姓氏家系大辞典 第4巻 227コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

津留と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

津留に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

「津留」で始まる・津留を含む名字

津留の字をそのまま含む、より長い名字です。

同じくらいの多さの名字

全国順位が津留の前後にある名字です。

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