大河
おおかわOokawa
全国3172位 ・ 約4,130人
大河(おおかわ)は、大川とも書き、通じて用いられる。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- おおかわ
- ローマ字
- Ookawa
- 全国順位
- 全国3172位
- 推計人数
- 約4,130人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
大河をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Ookawa読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「大河」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
目結
絞り染めの結び目を四つ、角を合わせて並べた図案。
『姓氏家系大辞典』第1巻 563コマに「紋四目結、立葵」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 三河国(愛知県)
- 大隅国(鹿児島県)
- 摂津国(大阪府・兵庫県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
大河(おおかわ)は、大川とも書き、通じて用いられる。地名としては「和名抄」三河国(愛知県)幡豆郡に大川○があり、於保加八と注し、高山寺本には於保加波とする。次に大隅国(鹿児島県)大隅郡に大河○がある。そのほか、摂津(大阪府・兵庫県)に大河庄、下野(栃木県)・陸中(岩手県・秋田県)・羽後(秋田県)・越後(新潟県)・丹波(京都府・兵庫県)・丹後(京都府)・紀伊(和歌山県)・肥前(佐賀県・長崎県)・筑後(福岡県)などにこの邑名が存する(讃岐大川郡は新郡)。これらから起こる。 【1】藤姓(出羽(山形県・秋田県)) ― 羽後国山本郡(古くは淳代郡)大河の地から起こったものかという。あるいは秋田郡大川の地であるともいう。藤原泰衡の臣に大河二郎兼任がおり、文治五年の泰衡の死後、子の鶴太郎・於幾内次郎とともに七千余騎を率いて兵を挙げた。 「東鑑」文治六年正月六日の条に「奥州(東北地方)の故泰衡の郎従、大河次郎兼任以下は、去年の冬の終わりごろから叛逆を企て、あるいは伊予守義経と号して出羽国海辺庄に出で、あるいは左馬頭義仲の嫡男朝日冠者と称して同国山北郡に起こり、それぞれ逆党を結んだ。 ついに兼任は嫡子鶴太郎、次男於畿内次郎らとともに七千余騎の凶徒を率いて鎌倉方に向けて出発させ、その道は河北・秋田城などを経て、大関山を越え、多賀国府に出ようとした。ところが秋田大方において志加渡を渡ろうとする間に、氷がにわかに消えて五千余人がたちまち溺死してしまった。天罰を被ったのであろうか。 そこで兼任は使者を由利中八維平のもとに送って言った、『昔から今まで、六親あるいは夫婦の怨敵に報いる者は尋常のことである。いまだ主人の敵を討った例はない。兼任ひとりその例を始めようとして、鎌倉に赴くところである』と」という。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
大河オホカハ大川ともあり、通じ用ひらる。地名としては和名抄三河國幡豆郡に大川〓あり、於保加八と註し、高山寺本には於保加波とす。次に大隅國大隅郡に大河〓あり。其の他、攝津に大河庄、下野、陸中、羽後、越後、丹波、丹後、紀伊、肥前、筑後等に此の邑名存す。(讃岐大川郡は新郡)。此等より起る。 1藤姓(出羽)羽後國山本郡(古の淳代郡)大河の地より起りしかと云ふ。或は秋田郡大川の地なりと。藤原泰衞の臣に大河二郞兼任あり、文治五年泰衞の死後、子鶴太郞、於幾內次郞と共に七千餘騎を率ゐて、兵を擧ぐ。東鑑文治六年正月六日條に「奧州故奉衡郎從、大河次郞兼任以下.去年窮冬以來叛逆を企て、或は伊豫守義經と號し、出羽國海邊庄に出で、或は左馬頭義仲の嫡男朝日冠者と稱し、同國山北郡に起る。各逆黨を結ぶ。遂に兼任·嫡子鶴太郞、次男於畿内(男畿内)次郎井に七千餘騎の凶徒を相具し、鎌倉方に向ひ首途せしめ、其の路·河北秋田城等を歷て、大關山を越え、多賀國府に出でんと擬す。而して秋田大方に於いて、志加渡を打融するの間、氷俄かに消えて五千餘人·忽ち以つて溺死し訖る。天譴を蒙るか。爰に兼任·使者を由利中八維平の許に送つて云ふ、『古今の間、六親若しくは夫婦の怨敵に報ずるの者は尋常事也。未だ主人の敵を討つの例あらず、兼任獨リ其の例を始めんとなし、鎌倉に赴く所なり』と云へり。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
大河と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
大河に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「大」の字を含む名字
「大河」で始まる・大河を含む名字
大河の字をそのまま含む、より長い名字です。
同じくらいの多さの名字
全国順位が大河の前後にある名字です。
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