上木

うえきUeki

全国3180位 ・ 約4,120人

上木(うえき)は、柿木と通じるとみられる。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
うえき
ローマ字
Ueki
全国順位
全国3180位
推計人数
約4,120人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

上木をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Ueki読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 伊勢国(三重県)
  • 加賀国(石川県)
  • 伊豆国(静岡県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

上木(うえき)は、柿木と通じるとみられる。対照せよ。 【1】藤原南家伊藤氏流 ― 伊勢国(三重県)員弁郡上木色から起こる。「勢州四家記」に員弁・桑名両郡の諸侍として上木氏を挙げ、また「三国地志」に「上木堡、思うに上木九郎左衛門(あるいは酒居守に住む)」と見える。藤原南家工藤狩野の一族という。織田氏に降った。 【2】加賀(石川県)の上木氏 ― 藤原姓という。「太平記」巻十九に「加賀国の住人敷地伊豆守、山岸新左衛門、上木平九郎以下の者どもが、畑六郎左衛門尉時能の言葉によって、加賀越前境の細呂木の辺りに城郭を構え、津葉五郎の大聖寺の城を攻め落として、国中を押領した」と見える。加賀藩給帳に「八百石(丸内松皮菱)、上木九郎右衛門。二百五十石(瓜内松皮菱)、上木久之助」と見えるのはこの子孫か。「植木」の項を参照。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

上木ウヘキ柿木と通ずべし、對照せ上01藤原南家伊藤氏流伊勢國員辨郡上木色より起る。勢州四家記に員部、桑名兩郡の諸侍として上木氏を擧げ、又三國地志に「上木堡、按ずるに上木九郞左衞門(或住酒居守」と見ゆ。藤原南家工藤狩野の族なりと云ふ。織田氏に降る。 2加賀の上木氏藤原姓なりと。太平記卷十九に「加賀國の住人敷地伊豆守、山岸新左衞門、上木平九郞以下の者共、畑六郞左衞門尉時能が語に付て、加賀越前境細呂木の邊に城郭をかまへ、津葉五郞が大聖寺の城を責落して、國中を押領す」と見ゆ。加賀藩給帳に「八百石(丸内松皮萎)、上木九郞右衞門。貳百五拾石(瓜内松皮萎)、上木久之助、」と見ゆるは此の裔か。(植木參照)

姓氏家系大辞典 第1巻 361コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

上木と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

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「上木」で始まる・上木を含む名字

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同じくらいの多さの名字

全国順位が上木の前後にある名字です。

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