大宮

おおみやOomiya

全国1067位 ・ 約1.7万人

大宮(おおみや)は、山城・三河・駿河・武蔵・常陸・下野・羽前・越前などにこの地名がある。

2件の公開家系図に 2人

基本情報

読み
おおみや
ローマ字
Oomiya
全国順位
全国1067位
推計人数
約1.7万人
全国比率
日本人のおよそ0.014%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

大宮をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Oomiya読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 山城国(京都府)
  • 駿河国(静岡県)
  • 武蔵国(東京都・埼玉県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

大宮(おおみや)は、山城(京都府)・三河(愛知県)・駿河(静岡県)・武蔵(東京都・埼玉県)・常陸(茨城県)・下野(栃木県)・羽前(山形県)・越前(福井県)などにこの地名がある。 【1】伊勢(三重県)の大宮氏 ― 伊勢国一志郡の豪族で、阿射加城に拠った。「勢州四家記」に、坂の城主・大宮入道九兵衛、同大丞らが防ぎ戦ったとある。大宮大丞は弓の達人で、秀吉の左脇をしたたかに射た。……(中略) 阿射加城は一に阿佐賀城、または阿坂城とも書く。俗に白米城と称し、大阿坂村字桝形にある。山上の平坦な地に築いた城塁の跡が、今も残っているという。 城主・大宮尾張守は、延元年間に兵を発して北郡を攻めた。興国元年四月、足利尊氏は高師秋を遣わしてこれを討たせたが、尾張守はこれを三渡で迎え撃ち、師秋は大敗して退いた。 また長野工藤氏が北畠氏に背いたとき、尾張守は自ら兵を率いてこれを撃ち、ついに工藤氏を滅ぼした。その後、剃髪して道朔と称し、当時の人々はその武勇に感服したという。 応永二十一年、国司・北畠満雅は、足利氏が盟約に背いて南朝の王子に位を譲らないことに憤り、一族と大和(奈良県)・伊賀(三重県)・伊勢・志摩(三重県)の兵を集めて自ら本城に拠り、一族の雅俊に木造城を、顕雅に大河内城を守らせ、そのほかの一族にも多気・坂内・田丸などの要害を守らせた。 四月、足利氏の兵が攻め寄せたが、満雅はよくこれを拒いだ。敵は水路を絶ったが、城兵は白米で馬を洗った。敵兵はこれを見て水があるものと思い、ついに退いたという。 永禄年間、大宮含忍斎、その子・大之○らがここにいた。壬生部の一族である。……(この先、原文の行が崩れて読み取れない) 【2】多々良姓大内氏流 ― 周防(山口県)の大族・大内氏の一族で、「大内系図」に「周防権介弘貞―弘家(矢田太郎、大宮と号す)」と見える。「おおうち」の項を見よ。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

大宮オホミヤ山城、三河、駿河、武藏、常陸、下野、羽前、越前等に此の地名あり。 1伊勢の大宮氏伊勢一志郡の豪族にして、阿射加城に據る。勢州四家記に坂の城主大宮入道九兵衞、同大丞等防ぎ戰ふ。大宮大丞·弓の達者也、秀吉の左の脇をしたゝかにいる。……阿射加城は一に阿佐賀城、又は阿坂城に作る。俗には白米城と稱す。大阿坂村字桝形に在り。山上平坦の地に構壘の址、猶存すとぞ。城主大宮尾張守、延元中兵を發し、北郡を攻む。興國元年四月、足利尊氏、高師秋をして來り討たしむ。尾張守、之を三渡に迎へ擊つ。師秋大敗して還る。また長野工藤氏の北畠氏に背くや、尾張守自ら兵を率ゐて之を擊ち、遂に工藤氏を亡ぼ後視髪して道朔と稱す。時人其の兵感に服す。應永二十一年、國司北畠滿雅、足利氏が盟約に背き、南朝の王子に位を讓らざるを憤り、一族、及び大和、伊賀、伊勢、志摩の兵を聚め、自ら本城に據り、族雅俊は木造城を守り、顯雅は大河内城を守り、其の他族類をして、多氣、坂內、田丸等の要害に備ふ。四月足利氏の兵來り攻む。滿雅能く拒ぐ、敵水路を絕つ。城兵白米を以つて馬を洗ふ。敵兵之を見て水ありとなし、達に退くと云ふ。永祿中、大宮含忍齋、其の子大之〓等之に居壬生部の一なり、大宮含忍齋據ると云オホフベ大壬生部2多々良姓大內氏流周防の大族大内氏の族にして、大内系圖に「周防權介弘貞-弘家(矢田太郞、號大宮)」と見ゆ。オホウチ條を見よ。

姓氏家系大辞典 第2巻 82コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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