十六葉菊

高坂

こうさかKousaka

ほかの読み: たかさか

全国1066位 ・ 約1.7万人

高坂(こうさか)は、また「香坂」とも書く。

1件の公開家系図に 1人

基本情報

読み
こうさか ・ たかさか
ローマ字
Kousaka
全国順位
全国1066位
推計人数
約1.7万人
全国比率
日本人のおよそ0.014%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

高坂をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

「こうさか」と読む場合

Kousaka読みをそのまま写した形

「たかさか」と読む場合

Takasaka読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「高坂」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第2巻 119コマに「紋重十六葉菊」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 武蔵国(東京都・埼玉県)
  • 信濃国(長野県)
  • 美作国(岡山県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

高坂(こうさか)は、また「香坂」とも書く。合わせて述べる。 【1】有道姓児玉党 ― 「七党系図」に高坂氏を収めるが、その系図はない。武蔵国(東京都・埼玉県)比企郡高坂村から起こったのであろう。小田原北条氏の家臣に「高坂氏」があり、その屋敷跡と称するものがこの村にあるという。 【2】源信義の香坂氏 ― また高坂とも書く。佐久郡香坂邑から起こったか。伊那郡の豪族である。……(中略)また文和二年七月五日の尊氏の判書に「信濃国(長野県)香坂美作守以下の凶徒を退治のため出発するように、云々。小笠原兵庫助殿」とある。 伝えるところでは、伊那の香坂氏は大河原城(大鹿村大河原)に拠った。興国年間、香坂高宗がこの郷を領し、ここに城を構えて居住した。宗良親王は正平七年に新田義治を従え、関東管領足利基氏を破って鎌倉を奪おうとし、義治の兄・義宗は碓氷嶺に拠った。 このとき、小笠原貞宗は尊氏に属したが、国内の豪族の多くは官軍に属し、親王を奉じて義宗を助けた。……(中略)これにより高宗はこの上ない忠義を尽くし、滋野・上松の一族を招いて警護し、これを数年続けたので、信濃宮と呼ばれた。 この城は高宗以来、正統が絶えず続いたが、天文二十三年、武田氏の将・山本勘介のために没落して家名を失ったと伝えられる。また諏訪郡にもこの氏がある。 【3】春日氏流甲斐の香坂氏 ― 信濃の高坂氏から出た。高坂安房守の死後、石和の名族・春日大陽の子・弾正がこの氏を名乗ったという。これが高坂昌信で、その子は源五郎(昌澄、昌宜、信秀)、その弟もまた源五郎(昌貞)という。紋は重ね十六葉菊。四百五十騎の大身である。 【4】織田流香坂氏 ― 「織田系図」に……(引用はここで途切れている)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

高坂カウサカまだ香坂に作る、合せ云ふべし。 1有道姓兒玉黨七黨系圖に高坂氏を收むれど、其の系なし。武蔵國比企郡高坂村より起りしなるべし。小田原北條氏家臣に「高坂氏」あり、その屋敷跡と稱するもの此の村に存すとぞ。 2信義の香坂氏また高坂に作る、佐久郡香坂邑より起りしか。伊那郡の豪族なリ。……又文和二年七月五日尊氏の判書に「信濃國香坂美作守己下の凶徒、退治の爲發向候條云々、小笠原兵庫助殿」と。傳へ云ふ、伊那の香坂氏は大河原城大鹿村大河原)に據る。興國中、香坂高宗·當郷を領し、此に城を構へて居住す。宗良親王、正平七年新田義治を從へ、關東管領足利基氏を破り鎌倉を奪はんとし、義治の兄義宗は確水嶺に據る。此のときに當りて、小笠原貞宗は尊氏に屬せしも、國內の豪族多くは官軍に屬し、親王を奉じて義宗を援く。……之れにより高宗無二の志を盡し、滋野、上松の一族を招き、警護し奉りて居る事數年、依て信濃宮と申す。當城は高宗以來正統綿々、儀續して、天文廿三年武田氏の將山本勘介の爲に沒落して家名を失ふと傳へらる。又諏訪郡にも此の氏あり。 3春日氏流甲斐の香坂氏にして、信濃高坂氏より出づ。高坂安房守の死後、石和の名族春日大陽の子彈正、此の氏を冒すと云ふ。これ高坂昌信にして、其の子源五郞(昌澄、昌宜、信秀)、其の弟又源五郞(昌貞)と云ふ。紋重十六葉菊。四百五十騎の大身也。 4織田流香坂氏織田系圓に……

姓氏家系大辞典 第2巻 119コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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