丸に雁金

久永

ひさながHisanaga

全国2507位 ・ 約5,650人

久永(ひさなが・くなが)は、石見に久永庄、伯耆に久永御厨が見える。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
ひさなが
ローマ字
Hisanaga
全国順位
全国2507位
推計人数
約5,650人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

久永をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Hisanaga読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「久永」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第5巻 221コマに「家紋丸の内雁、葛葉」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 石見国(島根県)
  • 越中国(富山県)
  • 長門国(山口県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

久永(ひさなが・くなが)は、石見(島根県)に久永庄、伯耆(鳥取県)に久永御厨が見える。 【1】賀茂姓 ― 石見国邑智郡久永庄より起こる。「寛永系図」に大賀茂都美命の裔といい、また賀茂神社古文書・小林系図・渡利系図などによれば賀茂氏の一族であって、行賢は元亨中に久永庄中野村の賀茂神社を修覆した。その男・行盛は越中守で延徳中の人である。その女は小林長門守正展の室となり、また行盛の孫・祐廉は越前守と称した。天文中の人で、妻は渡利興正の女であるという。また「中興系図」に「久永・賀茂」と載せている。 氏人としては元亨中に久永行賢、延徳中に久永行盛があり、賀茂別雷社領久永庄の地頭職であって、井原村雲井城に拠った。「行賢―行盛―祐廉」の順であるといい、井原の条を参照。 【2】三河(愛知県)の久永氏 ― 前項の後裔で、「寛永呈譜」に「石見国久永庄に住す」といい、「寛政呈譜」には「先祖は吉備小黒麿の後であり、葛山を称した。勝成のとき大内家に属し、久永庄にあって地名を称号とした」という。その裔は「源六重吉(三河額田郡に移り、松平○廉に仕えた)―源左衛門信重―源兵衛重勝(源六。家康に仕え、比奈邑二十貫文を領した)」と続く。……(この先は原文の行が崩れて読み取れない)家紋は丸の内雁、葛葉。三黒餅の内雁、丸換。この地に来て、前述の近藤邑久永文四郎隆任の養子となったという。 【4】雑載 ― 前橋藩士に久永助三数(松陵と号す)がある。そのほか備前(岡山県)・摂津(大阪府・兵庫県)・武蔵(東京都・埼玉県)などに存する。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

久永ヒサナガクナガ石見に久永庄、伯書に久永御厨·見ゆ。 1賀茂姓石見國邑智郡久永庄より起る。寛永系圖に大賀茂都美命の裔と云ひ、た賀茂神社古文書、小林系圖、渡利系圖等に據るに、賀茂氏の族にして、行賢は元廳中、久永庄中野村の賀茂神社を修覆す。その男行盛は越中守、延德中の人なり。その女は小林長門守正展の室、又行盛の孫祐廉は越前守と稱す。天文中の人にして、妻は渡利興正の女也と。又中興系圖に「久永·賀茂」と載せたり。氏人は元亨中に久永行賢、延德中に久水行盛あり、賀茂別雷社領久永庄地頭職にして、井原村雲井城に據る。「行賢-行結康一なりと、井原條參照2三河の久永氏前項の後にて、寛永呈譜に「石見國久永庄に住す」と云ひ、寛政呈語には「先祖は吉備小黑麿の後にして、葛山を稱す。勝成がとき大内家に屬と、久永庄に在りて、地名を稱號とす」と云ふ。その裔「源六重吉(三河額田郡に移り、松平〓廉に仕ふ)-源左衞門信重-源兵衞重勝(源六。家康に仕へ、比奈邑二十貫文を領す。……家紋丸の内雁、葛葉。三黑餅の內雁、丸換。此の地に來り、前述近藤邑久永文四郞隆任の養子となると云ふ。 4雜載前橋藩士に久永助三數あり、松陵と號す。その他、備前、攝津、武藏等に存す。

姓氏家系大辞典 第5巻 221コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

久永と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

久永に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が久永の前後にある名字です。

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