菱

一宮

いちみやIchimiya

全国2510位 ・ 約5,640人

一宮(いちのみや)は、中世以後、諸国の神社のうちに一宮・二宮・三宮などと呼ぶ制度があった。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
いちみや
ローマ字
Ichimiya
全国順位
全国2510位
推計人数
約5,640人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

一宮をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Ichimiya読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「一宮」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第1巻 205コマに「紋所松皮萎、替紋所丸之内ニ四ツ劔菱、又丸之内十文字之あり」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 阿波国(徳島県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

一宮(いちのみや)は、中世以後、諸国の神社のうちに一宮・二宮・三宮などと呼ぶ制度があった。この制度の起こりは詳らかでないが、多くの場合、一宮は国内の神社の中で第一位を占め、社領も多く大きな勢力を有していた。一宮氏には、これらの一宮と直接関係のある者、すなわち大宮司などの社職にある者と、単に一宮という地名を負うだけの者とがあり、しかも各国いずれにも一宮があって、郡の一宮、○荘の一宮というものもあるため、その出自は国によってさまざまである。 【1】紀姓 ― 阿波国(徳島県)名方郡の一宮より起こる。この国の一宮は「一宮記」などによれば板野郡大麻比古神社であるが、この一宮氏の一宮は名方郡の名神大社天石門別八倉比売神社と、「三代実録」に載る埴生女屋神社とであり、ともに大栗明神と称したという。一宮氏は大栗明神の大宮司家であって、後世には源姓三善氏の一族というが、実際には紀姓であったらしい。 一宮城に拠り、「阿波志」に「永禄・天正のころ紀成助の居であった。天正四年に秦元親(長宗我部元親)が兵二百を置き、同十年に成助を謀殺して遂にこれを奪った」とある。成助のことは諸書に多く見える。次の項に示すように代々一宮の大宮司であって成の字を通字とすることから、河人成高・成俊の後裔だろうか。 「愚昧記」に「久安二年、勘注所の河人成俊らが申した詞記にいう、法勝寺の末寺延命院の所司らの解状に、一宮司河人成高、舎弟成俊らが非道をもって軍兵八十余人を引率し、御庄内でほしいままに供信ならびに下司・住人らを追捕し、庄屋を焼失した云々とある」という。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

一宮イチノミヤ中世以後、諸國神社中に一宮、一〇、三ヽヽ等の稱あり。此の制度の起原は詳かならざるも、多くの場合一宮は國內神社中第一位を占め、社領も多くして大なる勢力を有したりき。一宮氏は此等一宮と直接関係を有するもの、卽ち大宮司等の社職にあるものと、單に一宮てふ地名を負ふものとあれど、各國何れも一宮ありて、時には郡の一宮、〓莊の一宮もあれは、其の出自は各國區々たり。 1紀姓阿波國名方郡の一宮より起る。此の國の一宮は一宮記等に據るに、板野郡大麻比古神社なれど、此の一宮は名方郡の名神大社天石門別八倉比賣神社と、三代實錄所載埴生女屋神社とにて、共に大栗明神と稱せしとぞ。一宮氏は大栗明神の大宮司家にて、後世源姓三善氏の一族と云へど、其の實紀姓なりしが如し。一宮城に據る、阿波志に「永祿天正の比紀成助の居なり、天正四年秦元親兵二百を置き、十年成助を謀殺して遂に之を奪へり」と。成助の事は諸書に多く見ゆ。次の項に示す如く代々一宮の大宮司にして成を通字とすれば、愚昧記に「久安二年間註所河人成俊等申詞記云、法勝寺未寺延命院所司等解狀に曰く、一宮司河人成高、舍弟成俊等、非道を以つて軍兵八十餘人を引率し、御庄内、恣に供信並に下司住人等を追捕し、庄屋を燒失す云々」とある河人成高成俊の後裔ならんか。

姓氏家系大辞典 第1巻 204コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

一宮に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が一宮の前後にある名字です。

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