中岡
なかおかNakaoka
全国965位 ・ 約1.9万人
中岡(なかおか)は、【1】秀郷流藤原姓日野辺氏族 ― 紀伊国の発祥で、もと日野辺、あるいは木下を称したが、光利に至って初めて中岡を称したという。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- なかおか
- ローマ字
- Nakaoka
- 全国順位
- 全国965位
- 推計人数
- 約1.9万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.015%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
中岡をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Nakaoka読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「中岡」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
『姓氏家系大辞典』第4巻 381コマに「家紋澤瀉、井筒の內上り藤、釘拔」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 紀伊国(和歌山県)
- 肥前国(佐賀県・長崎県)
- 土佐国(高知県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
中岡(なかおか)は、【1】秀郷流藤原姓日野辺氏族 ― 紀伊国(和歌山県)の発祥で、もと日野辺、あるいは木下を称したが、光利に至って初めて中岡を称したという。家紋は沢瀉、井筒の内に上り藤、釘抜。「寛政系譜」に「長十郎芳範(勘七郎)― 直次郎嘉樹」らを挙げる。 【2】肥前(佐賀県・長崎県)の中岡氏 ― 松浦郡の畑氏配下の将に中岡左馬助がある。 【3】土佐(高知県)の中岡氏 ― 安芸郡北川郷の名族で、幕末、中岡小伝次の男に中岡慎太郎道正(光次郎)がある。勤王の志士で、石川○之助(この一字は原文が崩れている)と称した。 【4】雑載 ― そのほか志摩(三重県)に存し、また「安西軍策」に……(引用はここで途切れている)
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
中岡ナカヲカ1秀〓流藤原姓日野邊氏族紀伊國發祥にて、もと日野邊、或は木下を稱す光利に至り、初めて中岡を稱すと云ふ家紋澤瀉、井筒の內上り藤、釘拔。寛政系譜に「長十郞芳範(勘七郎)-直次郞嘉樹」等を敢む。 2肥前の中岡氏松浦郡畑氏配下の將に中岡左馬助あり。 3土佐の中岡氏安藝郡北川〓の名族にして、幕末、中岡小傳次の男に中岡愼太郞道正(光次郞)あり、勤王の志士、石川〓之助と稱す。 4雜載その他、志摩に存し、又安西軍策に……
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
中岡と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
中岡に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
同じくらいの多さの名字
全国順位が中岡の前後にある名字です。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →
