小高

おだかOdaka

全国969位 ・ 約1.9万人

小高(こたか)は、「ヲタカ」に併せて述べた。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
おだか
ローマ字
Odaka
全国順位
全国969位
推計人数
約1.9万人
全国比率
日本人のおよそ0.015%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

小高をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Odaka読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 河内国(大阪府)
  • 遠江国(静岡県)
  • 飛騨国(岐阜県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

小高(こたか)は、「ヲタカ」に併せて述べた。また河内(大阪府)・遠江(静岡県)に小高御庄がある。 【1】常陸大掾流 ― 「ヲタカ」の項の第六項を見よ。今、足りないところを補う。「諸家系図纂」に「(行方)宗幹(一書に最幹とある)― 小高太郎行方〔小城主の祖〕― 小高六郎(元暦年、小高六郎は義経の先鋒となり、屋島の将・平教経と大いに戦って命を殞した。頼朝卿は、死をもって事えた故に厚くその孤を撫した)」と載せる。下って「和光院過去帳」に「天正十九年辛卯二月九日、佐竹太田において生害の衆、小高殿」と見える。 【2】また「東鑑」巻二十一に、小高太郎、小高次……(この人名は原文の字が崩れて読み取れない)を載せる。 【3】会津の小高氏 ― 「新編風土記」の会津郡慶山村の条に「別当金蔵院は本山派の修験である。家系を按ずるに、その遠祖を小高治郎兵衛尉盛通と称し、修験となって金蔵院秀栄と号した。現住の○林まで十六世である」と。そのほかは「ヲタカ」の項を見よ。……(中略) (このあと原文は次の見出し「小高瀬(こたかせ)」「小鷹利(こたかり)」の記事に移る) 小高瀬 ― 河内国茨田郡に小高瀬……がある。「集古文書」に「観心寺領」、延元五年二月二十二日の後村上天皇綸旨、小松寺の保延三年奉加帳に「小高瀬荘の住人信心」と見える。 小鷹利 ― 飛騨国(岐阜県)荒城郡小鷹利邑から起こる。飛騨国司姉小路氏の分流で、小鷹利郷の黒内城に拠る。「飛騨国司系譜」によると、建武中、姉小路家臣に小鷹利伊賀守がある。黒内城に拠り、子孫が世襲した。天正の初め、右近宣政が金森氏に逐われ、常陸(茨城県)の佐竹氏に拠った。「天保武鑑」にその国老・小鷹持右近を載せる。思うにその後であろう(「地理志料」)と。また毛利藩士に小鷹狩勘解由元方がある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

小高コタカヲタカに併せ云へリ。又河内、遠江に小高御庄あり。 1常陸大掾流ヲタカ條第六項を見よ。今足らざるを捕ふ。諸家系圖纂に「(行方)宗幹(一書に最幹とあリ)-小高太郞行方小城主祖〕-小高六郞(元曆年、小高六郞·義経の先鋒となり、屋島の將·平〓經と大いに戰ひ命を殞す。賴朝卿·死を以つて事ふる故に厚く其の孤を撫す」と載せ、下りて和光院過去帳に「天正十九年辛卯二月九日、佐竹太田に於いて生害の衆、小高殿」と見ゆ。 2又東鑑卷二十一に、小高太郞、小高次穴澤氏郞を載せたり。 3會津の小高氏新編風土記、會津郡慶山村條に「別當金藏院、本山派の修驗なリ。家系を按ずるに、其の遠祖を小高治郞兵衞尉盛通と稱し、修驗となり、金蔵院秀榮と號す。現住〓林迄十六世なリ」と。其の他はヲタカ條を見よ。……小高瀬コタカセ河内國茨田郡に小高瀨共あり。集古文書に「觀心寺頷」、延元五年二月廿二日、後村上天皇輪旨、小松寺保延三年奉加帳に「小高瀨莊の住人信心」と見ゆ。小鷹利コタカリ飛驒國荒城郡小鷺利邑より起る。飛驒國司姊小路氏の分流にして小鷹利〓黑內城に據る飛驒國司系譜に據るに、建武中、姊小路家臣に小黶利伊賀守あり。黑內城を皮り、子孫世襲す。天正の初め、右近宜政、金森氏の逐ふ所となり、常陸の佐竹氏に據る。天保武鑑に、其の國老小鷹持右近を載せたり。蓋し其の後ならん(地理志料)と。又毛利藩士に小鷹狩勘解由元方あり。

姓氏家系大辞典 第3巻 27コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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