間山
まやまMayama
全国4420位 ・ 約2,550人
間山(まやま)は、奥州の豪族で、南北朝の頃(この二字は原文が崩れている)南朝に属し、北畠顕家配下の将・間山十大夫は、岩代国信夫郡岡部村に春日社を勧請した(「信夫…
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基本情報
- 読み
- まやま
- ローマ字
- Mayama
- 全国順位
- 全国4420位
- 推計人数
- 約2,550人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
間山をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Mayama読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 陸奥国(東北地方)
- 岩代国(福島県)
- 武蔵国(東京都・埼玉県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
間山(まやま)は、奥州(東北地方)の豪族で、南北朝の頃(この二字は原文が崩れている)南朝に属し、北畠顕家配下の将・間山十大夫は、岩代国(福島県)信夫郡岡部村に春日社を勧請した(「信夫郡村誌」)。藤原姓であるという。また徳川時代、弘前藩にあり、間山甚五郎祐真は○(原文が崩れて読み取れない)人として名高い。また津軽・武蔵(東京都・埼玉県)などにも存する。 眉折(まゆおり)は、但馬(兵庫県)の豪族で、「太田文」に「養父郡。石禾下庄、院御領、領家左馬権頭重清、入道妙蓮跡、地頭眉折八郎(八郎は史本に新八郎に作る)。石禾村、地頭眉折又太郎入道明仏、子息四郎固網那木谷村、同五郎入道行仏。高瀬村、同太郎真綱女子。八郎兵衛入道光仏領中分、女子治田尼領(中分)御家人、公文淵尻小太郎左衛門重綱(ただし中分、後半分か、行仏に押領された)」と見える。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
間山マヤマ奥州の豪族にして、南北朝ロバ南朝に屬し、北畠顯家配下の將間山十大夫は、岩代國信夫郡岡部村に春日社を動請す(信夫郡村誌)。藤原姓なりと。又德川時代、弘前藩に在り、間山甚五郞祐眞は獸人として名高し。又津輕、武藏等に存す。眉折マユオリ但馬の豪族にして、太田文に「養父郡。石禾下庄·院御領、領家左馬權頭重清、入道妙蓮跡、地頭眉折八郞(八邸は史本に新八郞に作る)。石禾村·地頭眉折又太郞入道明佛、子息四郎固網那木谷村·同五郞入道行佛。高瀨村·同太郞眞綱女子。八郞兵衞入道光佛領中分·女子治田尼領(中分)御家人、公文淵尻小太郞左衞門重綱(但中分、後半分歟、行佛被押領)」と見ゆ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
間山と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
間山に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「間」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が間山の前後にある名字です。
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