円城寺

えんじょうじEnjouji

全国4429位 ・ 約2,540人

円城寺(えんじょうじ)は、下総国印幡郡城村円城寺から起こる。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
えんじょうじ
ローマ字
Enjouji
全国順位
全国4429位
推計人数
約2,540人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

円城寺をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Enjouji読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 下総国(千葉県・茨城県)
  • 伊賀国(三重県)
  • 肥前国(佐賀県・長崎県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

円城寺(えんじょうじ)は、下総国(千葉県・茨城県)印幡郡城村円城寺から起こる。桓武平氏千葉氏の一族である。初め千葉常胤の子・日胤が円城寺に居た。たまたま以仁王が兵を起こすと、軍に従って死んだ。頼朝は伊賀山田○(原文が崩れている)を寺門に寄せてその冥福を弔い、この氏はその族裔であるという。千葉氏四老の一つで、根古谷城に拠る。その墓は稲葉村にある。 龍腹寺宝塔造立の鋼牌に「大檀那平胤直云々、円城寺肥前守胤定」、「鎌倉大草紙」に「応永云々、円城寺下野守云々」、また「享徳四年六月、成氏退治のため云々、ここに千葉介の近親に原越後守胤房・同筑後守胤茂・円城寺下野守尚任という者があり、ともに有勢の兵である」とある。 また「大将胤宣の乳母子・円城寺藤五郎直時」、また「円城寺又三郎」「円城寺目軽守」などを載せ、下総小金本土寺過去帳に「円城寺因幡守(嘉吉四年甲子卯月)、円城寺平六(明応七年庚午正月)、円城寺肥前守妙前、円城寺若狭守妙若、円城寺能登」らを挙げる。また小田原分限帳にもこの氏が見える。 また九州にもこの氏があり、すなわち肥前河上社文書に円城寺左衛門尉(建武四年)とあるのは、おそらく千葉氏に従って下ったものか。また筑後田中家臣知行割帳に「四百石・円城寺勧九」を挙げる。 遠城寺(えんじょうじ)は、佐伯毛利藩の用人にこの氏がある。……(中略)「紹運録」に光孝天皇の御子「斉世親王、円城寺宮と号す」とある。 円勺(えんしゃく)・延寿(えんじゅ)は、鍛冶の称号である。 【1】肥後(熊本県)の延寿 ― 大和来国行の婿・延寿国村が肥後菊池に来て、菊池延寿と号した。その子国村は延寿太郎という(「国志」)。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

圓城寺ヱンジヤウジ下總國印幡郡城村圓城寺より起る。桓武平氏千葉氏の族なリ。始め千葉常胤の子日胤·圓城寺に居る。會ま以仁王兵を起す、軍に從つて死す。賴朝·伊賀山田〓を寺門に寄せて其の冥福を断る、此の氏は其の族裔なりと。千葉氏四老の一にして、根古谷城に據る。其の墓·稻葉村にあり。龍腹寺寶塔造立の鋼牌に「大檀那平胤直云々、圓城寺肥前守胤定、」鎌倉大草紙に「應永云々、圓城寺下野守云々、」また「享德四年六月、成氏爲退治、云々、爰に千葉介が近親に原越後守胤房、同筑後守胤茂、圓城寺下野守尙任と云者あり、共に有勢の兵なリ。」また「大將胤宣乳母子圓城寺藤五郞直時、」また「圓城寺又三郞、」「圓城寺目軽守、」等を載せ、下總小金本土寺造去帳に「圓城寺因幡守(嘉吉四甲子卯月)、圓城寺平六(明應七度午正月)、圓城寺肥前守妙前、圓城寺若狭守妙若、圓城寺能登等を擧ぐ。又小田原分限帳に此の氏見ゆ。又九州にも此の氏あり、卽ち肥前河上社文書に圓城寺左衞門尉(建武四年)、蓋し千葉氏に從ひ下りしか。又筑後田中家臣知行割帳に「四百石·圓城寺勸九」を擧ぐ。遠城寺ヱンジヤウジ佐伯毛利藩の用人に此の氏あり。……紹運錄に光孝天皇の御子「齋世親王·號圍城寺宮」とあり。圓勺ヱンシヤク延壽ヱンジユ銀冶の稱號なり。 1肥後の延壽大和來國行が聟延壽國村·肥後菊池に來り、菊池延壽と號す、其の子國村は延壽太郞と云ふ(國志)。

姓氏家系大辞典 第1巻 409コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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