野々上
ののうえNonoue
全国7848位 ・ 約1,090人
野々上(ののかみ)は、 【1】菅家族 ― 美作国の名族で、菅原姓豊田氏から分かれる。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- ののうえ
- ローマ字
- Nonoue
- 全国順位
- 全国7848位
- 推計人数
- 約1,090人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
野々上をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Nonoue読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 美作国(岡山県)
- 薩摩国(鹿児島県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
野々上(ののかみ)は、 【1】菅家族 ― 美作国(岡山県)の名族で、菅原姓豊田氏から分かれる。勝北郡豊田庄にある。伝えていうには、豊田出雲守保家の子・相馬保友に至って野々上氏を称した。その子・兵衛保為は元弘年中、一族とともに南朝に仕え、その子・又四郎保信から代々赤松氏に属した。 その後、天正七年五月、有元の一族である宇喜多氏に敗れるところとなり、従者はことごとく帰農するにあたって、兵右衛門保光もまた四原にとどまって農民となった。その子・又四郎保輝は、万治二年二月に亡くなったという。また「東作志」に社人・野々上薩摩が見える。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
野々上ノノカミ1菅家族美作國の名族にして、菅原姓豐田氏より分る。勝北郡豐田庄に在り。傳へ云ふ、豐田出雲守保家の子相馬保友に至り、野々上氏を稱す。其の子兵衞保爲·元弘年中、一族と共に南朝に仕へ、其の子又四郞保信より、累世赤松氏に屬す。其の後、天正七年五月、有元の一族·宇喜多氏の破る所となりて、隨從のもの、悉く節農するや、兵右衞門保光も亦四原に止りて、農となる。其の子又四郞保輝·萬治二年二月卒すとぞ。又東作志に社人野々上薩摩·見ゆ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
野々上に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「々」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が野々上の前後にある名字です。
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