多々良

たたらTatara

全国4185位 ・ 約2,780人

多々良(たたら)は、前の二つの項と通じて用いられ、安房・但馬・周防などに多々良荘が見え、また相模にこの地名が存在する。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
たたら
ローマ字
Tatara
全国順位
全国4185位
推計人数
約2,780人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

多々良をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Tatara読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 但馬国(兵庫県)
  • 周防国(山口県)
  • 相模国(神奈川県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

多々良(たたら)は、前の二つの項と通じて用いられ、安房(千葉県)・但馬(兵庫県)・周防(山口県)などに多々良荘が見え、また相模(神奈川県)にこの地名が存在する。 【1】多々良公 ― 上古以来の著姓で、任那国主の後と称する。「姓氏録」には山城諸蕃に収め「多々良公。御間名国主・爾利久牟王から出る。欽明天皇の御世、投化して、金多々利(金多々利は『和名抄』に絡現本とする)・金牟(一本に乎)・居等を献じた。天皇はこれを誉めて多々良公を賜った」とある。しかし多々良は彼の国の地名で、「神功紀」の「蹈鞴津」、「敏達紀」「推古紀」などの「多々羅城・多々羅邑」はそれであるという。 【2】周防の多々良公 ― 前の項に載せた周防国佐波郡多良郷は、この氏がいたことから起こった地名だろう。当国延喜八年の玖珂郡戸籍に「多々良公秋男」などとあるのは、この後裔で、後裔は大いに栄えた。 【3】山城(京都府)の多々良公 ― 前述の通り「姓氏録」にこの氏を山城諸蕃に収め、また綴喜郡に……(この先は原文の行が崩れて読み取れない) (このあと原文は次の見出し「太段(ただん)」「忠宗(ただむね)」の記事に移る。尾張(愛知県)の項を参照) 【1】忠宗宿禰 ― 尾張氏の一族で、天長十年二月紀に「右京○上野権少掾・従八位上・尾張連年長、位子先位・尾張連豊野、留省先位・尾張連豊山らに、姓を忠宗宿禰と賜う」と見える。 【2】忠宗朝臣 ― 前の項の氏と同族で、承和六年四月紀に「右京人・正六位上・次田連魚麻呂ら七人に、姓を忠宗朝臣と賜う」と見える。次の字は、一本に茨に作るのはよくない。 【3】無尸の忠宗氏 ― 忠宗宿禰または朝臣の後裔だろう。「類聚符宣抄」などに見える。 (このあと原文は次の見出し「忠目(ただめ)」の記事に移る)「平家物語」に忠目範守という者が見える。忠目は何かの誤りだろうという。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

多々良タタラ前二條と通じ用ひられ、安房、但馬、周防等に多々良庄·見え、た相摸に此の地名存す。 1多々良公上古以來の著姓にして、任那國主の後と稱す。姓氏錄には山城請蕃に收め「多々良公。御間名國主·爾利久牟王より出づる也。天皇諡欽明の御世、投化して、金多々利(金多々利は和名抄に絡現本)金牟(一本に乎)居等を献ず。天皇·之を譽めて多々良公を賜ふ也」とあり。されど多々良は彼の國の地名にて、神功紀の「蹈鞴津」、〓達紀、推古紀等の「多々羅城多々羅邑」はそれなりと云ふ。 2周防の多々良公前々條所載周防國佐波郡多良〓は、此の氏の在りしより起れる地名ならん。當國延喜八年の玖珂〓戶籍に「多々良公秋男」などあるは、此の後にて、後裔大いに榮ゆ。 3山城の多々良公前述の如く、姓氏錄に、この氏を山城諸蕃に收め、又緩喜郡に太段タダン忠宗タダムネヲハリ條參照。 1忠宗宿禰尾張氏の族にして、天長十年二月紀に「右京〓上野權少掾從八位上尾張連年長、位子先位尾張連豐野、留省先位尾張連豐山等に、姓を忠宗宿禰と賜ふ」と見ゆ。 2忠宗朝臣前項氏と同族にして、承和六年四月紀に「右京人正六位上次田連魚麻呂等七人に、姓を忠宗朝臣と賜ふ」と見ゆ。次の字·一本に茨に作るは善からず。 3無尸の忠宗氏忠宗宿禰又は朝臣の後齋なるべし。類聚符宣抄等に見えたり。忠目タダメ平家物語に忠目範守なるもの見ゆ。忠目は何かの誤りならんと云ふ。

姓氏家系大辞典 第4巻 49コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

多々良と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

多々良に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が多々良の前後にある名字です。

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