桐

百々

どどDodo

全国3883位 ・ 約3,110人

百々(読みは原文が崩れていて読み取れない)は、近江・信濃・下野などにこの地名がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
どど
ローマ字
Dodo
全国順位
全国3883位
推計人数
約3,110人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

百々をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Dodo読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「百々」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第4巻 299コマに「紋·笹の丸内に桐あり」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 近江国(滋賀県)
  • 信濃国(長野県)
  • 隠岐国(島根県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

百々(読みは原文が崩れていて読み取れない)は、近江(滋賀県)・信濃(長野県)・下野(栃木県)などにこの地名がある。 【1】佐々木氏族 ― 近江国の豪族で、坂田郡百々邑から出て、綱家を祖とするという。百々隠岐守盛実があり、その子・越前守は織田信長に仕えた。この氏はまた犬上郡百々村から起こるともいい、また橘姓とも伝える。 「百々家系図」には「宇多源姓、佐々木京極の支流。紋は笹の丸の内に桐。百々氏は、始祖は源姓で佐々木に中興し、京極の支流である。嫡子・曾孫と続く。百々越前守安行の父は京極三郎高家の弟で、上総分秀綱と号した。代々江州犬上郡百々村に居る。所在は江州鳥籠山のあたりで、摺針峠の西である」とある。 「源秀綱(京極上総介。代々江州犬上郡に住居し、百々村を采邑とする。よって人は百々殿と称し、子孫はこれをもって氏号とする)―源綱家(百々越前守。妻は遠藤喜右衛門直継の女。京極上総介源秀綱の嫡男で、江州百々村に生まれ、はじめ信長公に仕え、天正十年六月、山崎の戦役に秀吉公に従って戦功があった。その後、諸大夫に任ぜられ、江州に六千石の食邑を得た)」とある。 ……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない) (このあと原文は次の見出し「戸塚」の記事に移る) 戸塚(とつか)の雑載として、今治松平藩の重臣、井伊藩中老などに存し(「武鑑」)、また菊間水野藩柔道家に戸塚彦介が見え、近世の医師に戸塚静海がある。また信濃・摂津(大阪府・兵庫県)・上野(緑野郡戸塚邑)などにも多いという。 (このあと原文は次の見出し「十束」の記事に移る) 十束(とづか)は前項の氏と同じである。掛川藩の名医・十束井斎(特達)は、四川金次郎昌通の次男で、十束隆賢の養子となり、その家を継いだという。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

百々トドドヲトヲトドヲ近江、信濃、下野等に此の地名あり。 1佐々木氏族近江國の豪族にして、坂田郡百々邑より出で、綱家を祖とすと云ふ百々隱岐守盛實あり、其の子越前守·織田信長に仕ふ。此の氏また犬上郡百々村より起るとも云ひ、又橘姓とも傳ふ。百々家系圖には「宇多源姓、佐々木京極の支流、紋·笹の丸内に桐あり。百々氏は、始祖は源姓、佐々木に中興し、京極の支流なり。而して嫡子、曾孫、蔓桁す矣。百々越前守安行の父は、京極三郞高家の弟、而して上總分秀綱と號す。世々江州犬上郡百々村に居る。所在·江州鳥籠山られ、摺針峠の西なり。源秀綱(京極上總介、代々·江州犬上郡に住居し、百々村を釆邑とす。故に人·百々殿と稱し、子孫·以つて氏號と爲す)-源綱家(百々越前守。妻は遠藤喜右衞門直繼の女。京極上總介源秀綱の嫡男、而して江州百々村に產れ、始め信長公に仕へ、天正十年六月、山崎軍役·秀吉公に從ひて戰功あり。厥の後·諸大夫に任ぜられ、江州に食邑を六千石、代官領五近江、信戶塚式部少輔2雜載其の也、今治松平藩重臣、井伊藩中老等に存し(武鑑)、又菊間水野藩柔道家に戶塚彦介見え、近世醫師に戶塚靜海あり。また信濃、攝津、上野(綠野郡戶塚邑)等にも多しとぞ。十束トヅカ前條氏に同じ。掛川藩の名醫十東井齋(特達)は四川金次郞昌通の次男、十東隆賢の養子となり、その家を嗣ぎしなりと。

姓氏家系大辞典 第4巻 299コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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