郡山

こおりやまKooriyama

全国2545位 ・ 約5,540人

郡山(こおりやま)は、大和・伊勢奄芸郡・下野・磐城檜葉郡・標葉郡・刈田郡・岩代安積郡・会津郡・陸前名取郡・陸中紫波郡・羽前置賜郡・村山郡・飽海郡・羽後雄勝郡・安…

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基本情報

読み
こおりやま
ローマ字
Kooriyama
全国順位
全国2545位
推計人数
約5,540人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

郡山をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Kooriyama読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 磐城国(福島県・宮城県)
  • 岩代国(福島県)
  • 陸前国(宮城県・岩手県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

郡山(こおりやま)は、大和(奈良県)・伊勢奄芸郡・下野(栃木県)・磐城檜葉郡・標葉郡・刈田郡・岩代安積郡・会津郡・陸前名取郡・陸中紫波郡・羽前置賜郡・村山郡・飽海郡・羽後雄勝郡・安芸(広島県)・薩摩(鹿児島県)などにこの地名がある。いずれも王朝時代に郡衙があったことから起こる。この氏はこの地名を負ったもので、その流れは多い。 【1】小田切氏流 ― 大和国添下郡郡山より起こる。至徳元年四月の大和武士交名に「郡山殿」と見える。小田切の条を見よ。また平群郡椿井氏配下の将に郡山越中守がある。 【2】藤原南家伊東氏流 ― 岩代国(福島県)安積郡郡山邑より起こる。天正のころ、郡山太郎左衛門尉があり、子孫は仙台藩に仕え、伊達政宗家中に郡山民部とあるのがこれである。この家は片平安積家の支流かという。また天正のころ、郡山大内蔵少輔があり、同族であろうという。 またこれより前、天文のころ、郡山の城主に伊東但馬があり、この氏の祖であろう。「旧事考」に「伊藤祐長が安積を給わり、新たに九人に振り分け、安積郡中の館主はみな祐長の子孫でない者は稀であったが、勢いはようやく衰え、永享十一年、安積備前守に至って伊達持宗に従う。その後、太郎左衛門の代に至って、佐竹・蘆名・岩城・相馬の総軍に攻められたとき、政宗に従い仙台に赴く云々」とある。 按ずるに、祐長が安積を給わってより、ここに住んだのではない。彼の正統は片平にあり、郡山太郎左衛門の家は、その分派であるという。しかし、太郎左衛門が佐竹に攻められたのは……(引用はここで途切れている)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

郡山コホリヤマ大和、伊勢奄藝郡、下野、磐城檜葉郡、標葉郡、刈田郡、岩代安積郡、會津郡、陸前名取郡、陸中紫波郡、羽前置賜郡、村山郡、飽海郡、羽後雄勝郡、安藝、薩摩等に此の地名あり。何れも王朝時代·郡衙のありしより起る。此の氏は此の地名を負ひしにて其の流多し。 1小田切氏流大和國添下郡郡山より起る至德元年四月の大和武士交名に「郡山殿」と見ゆ。小田切條を見よ。又平群郡椿井氏配下の將に郡山越中守あり。 2藤原南家伊東氏流岩代國安積郡郡山邑より起る。天正の頃、郡山太郞左門尉あり、子孫仙臺藩に仕伊達正宗家中に郡山民部とある、これ也この家は片平安積家の支流かと云ふ。又天正の頃、郡山大内藏少輔あり、同族ならんと。又これよリ前天文の比、郡山の城主に伊東但馬あり、此の氏の祖なるべし。舊事考に「伊藤祐長、安積を給はり、新九人に振ひ、安積郡中の館主·皆祐長の子孫ならざるは稀なりしに、勢やうやくおとるへ、永享十一年、安積備前守に至りて、伊達持宗に從ふ。其ののち太郞左衞四の時に至りて、佐竹、蘆名、岩城、相馬の總軍に攻められし時、政宗に從ひ、仙臺に赴く云々」と。按ずるに、話長の安積を給はりてより、此處に住みたるにはあらず。彼の正統は片平にありて郡山太郞左衡門が家は、其の分派なりといへり。されど、太郞左衞門が佐竹に攻められしは、

姓氏家系大辞典 第3巻 53コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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